あいつも偽乳こいつも偽乳、こっちは・・・やっぱ偽乳だ!
あ、どうもN作です。峰なゆかの『セクシー女優 ギリギリモザイク』という本を読んでいて驚いたことがあります。それはAV鑑賞者の多くが女優の豊胸を気にしている、という下りです。まあ百歩譲って実際に対戦する相手が偽乳かどうか気にするのはわかる部分もあります。モノにもよるのでしょうが、触ってみたら冷たくて萎えた、なんて経験も自分はあるので。しかし、AVを見てて気にするってのはどうなんでしょうか?だってそれが本物であろうが偽物であろうが、自分に何の影響もなくありません(ちなみにこれは整形にも言えること)?だったら、どっちでもいーやー(*´ω`*)と割り切ってしまった方が楽しめる幅が増えるという意味で合理的だと思うんですがね。
これはやっぱり「真実」・「本音」を求めている、ということなんでしょうか?でもそんなことを言ったら、そもそも化粧とかドレスアップもアウトじゃね?って気もするんですが(ねじれた純愛幻想とつながっていたりしてw)。風俗の嬢紹介写真やグラビア写真は言うまでもなく、個人的な地鶏とかも修正しまくりな昨今ですから、そんなものを求める方が不毛だと思いますしね。
まあとりあえず、そのような心性がどのようにして構築されるか、そしてそれが利用される構造に興味があるので、前述の本は楽しく読ませていただきました(・∀・)
確かにAV女優が偽乳でも、別にいいんじゃね?
という事かなw
確かに、「真実」など一種の「幻想」みたいなもんだろうしなー(´・ω・`)
その根底には、ある種の潔癖さが潜んでいるように思うんだよ。もしその見方が正しいとすると、それって人に何かしら瑕疵を見つけ出して引きずりおろしたり排除したりするヒステリックな他罰性へと変換する危険性を秘めているんだよね。それを「純粋さ」であるかのようにみなす連中ってそういったことがわかってんのかね?とかなりイラッとするんだな。まあそういうナイーブさを利用して掌の上で転がすってのは、どっかの与党さんとかもやっている行為ではあるんだがね。
「手を加えなかった」ら、それはそれで非難されかれないのも意味が分からんと思う・・・髪は寝癖だらけ、顔はヒゲだらけ、女性はすっぴん(笑)
体格や髪や化粧は、確かにある程度「手を加える」事が社会通念上で常識になってる訳だしね(^_^;)
そのくせ、整形や豊胸は確かにあまり是としないよね(^_^;)
「どこまでやらなければ排除されるのか?」、「どこまでやると排除されるのか?」という定義が明示されず、あやふやな「潔癖さ」が基準になり、それから外れたものを排除しようということになるのかね?