いわゆる「おじさんの詰め合わせ」発言とそれへの反発について:「平等」を求めるなら、当然同じ基準で評価されるわけで

2024-08-24 11:45:20 | 感想など

 

 

 

トラウデン直美とかいう人が自民党総裁選のポスターを「おじさんの詰め合わせ」と評して物議をかもしているらしい。

 

まあ「炎上」なる言葉もそうだが、そもそもどの程度の反発・議論を読んでいるのかと疑問に思う面もあるが(炎上という現象は概ね数パーセントによって引き起こされる)、まあこれが多少なりとも話題になるとしたら、ざっくり言えば男女「平等」という規範との乖離ということになるだろう。

 

つまり、仮に「おばさんの詰め合わせ」が問題ならば、「おじさんの詰め合わせ」も問題に決まっている、という反応だ。別の表現をすると、例えば成人男性×未成年女性という関係性が不可なら、成人女性×未成年男性という組み合わせも不可というのと同じと言える(もちろんジャニーズ問題で取り沙汰されたように、同性同士に対しても適用される)。

 

で、これが物議を醸しているという状況をわかりやすくするためにかつての状況に言及するなら、「社会的弱者」もしくはそれに近い存在が強者を批判する場合、それは体制批判とも似て、批判の正統性が担保されやすいというか、それを受け止めて然るべきだ(強者としての鷹揚さ?)という風潮もあった(女性には参政権すらない時代もあった訳で、その状況を肯定するつもりはない。まあその辺を言い出すと、今度はフランス七月王政のように全国民の1%程度しか選挙権を持たない時代も存在していた、という話も出てくるのだが)。

 

しかし、様々な点で平等の重要性が叫ばれ、仕組み上はある程度その方向に社会が向かっている以上、今述べたような構造は成り立ちがたくなっている(今回の「おじさんの詰め合わせ」発言に対する反発の背景を「男性の弱体化」と表現する向きもあり、文言はともかく、評価としては正しいと思われる)。

 

つまり、

1:男性と女性の立場が以前に比べれば近くなっている

2:男女平等という理念がそこかしこで謳われている

という2つの理由から、「女性→男性」というベクトルでの揶揄が、1によって男性心理から以前より反発を生みやすく、かつ2によってその反発にお墨付きも与えられやすい、という状況なのではないか。

 

とここまで書いて、「いやいや2を謳いながら女性の立候補者が少ないから揶揄してるんやろがい!」と反論・反発する向きはもちろんあるだろうが、それならちゃんと発言に比較対照の目線を入れるべきである。

 

つまり、

1:今回は総裁立候補者の総数が多いとはいえ、複数女性候補者がいることはどう評価するのか?

2:それは過去の自民党総裁選と比べて良くなっているのか、いないのか?

3:他の日本の政党、例えば公明党や維新の会や国民民主党と比べた時明らかに女性比率は少ないのか?

4:海外、例えばアメリカやイギリス、あるいはよく引き合いに出される北欧と比べてどうのなのか?

5:クォーター制を取り入れている隣国の韓国と比べてどうなのか?

とまあちょっと考えただけでもこれだけ論点はありえるわけで(これはよく日本の無宗教・宗教的帰属意識を取り上げる際に言及する話で、例えば日本人=多神教=無宗教という観念はインドのヒンドゥー教により簡単に否定できるとか、あるいは日本のシンクレティズムを無宗教の背景とする見解は、韓国タイカンボジアなど様々な事例により反駁される、といったことと同じだ。要は狭い世界しか見ない・知らないから、適当なことが言えてしまうのである)。

 

これを元に、例えば他国の事例を引き合いに出しつつ、「前より緩和したとはいえ、相変わらず与党という政治の中心となる存在のトップ候補は年齢のいった男性が大半を占めている。ただしこの問題は、自民党に限らず他の政党も同じだし、日本企業の女性役員の少なさとも合わせて、日本社会の硬直性がまだまだ強いことを象徴していると感じる。」といった具合に言えば、今回のような反応にはならなかったのではないか?

 

そういう分析も表現の咀嚼もなく、「ちょっとした印象論を上手いフレーズで放言しても許される」という意識で今回の発言をしたのだとしたら、それはかつて批判された森喜朗などの女性に対する発言と何が違うのか?・・・という反応をする手合いがそれなりの数出てくるのはまあ想定できる範囲ではないか。

 

だから例えば、「日本を変えていくためにも、もっと女性の候補者が増えたり、より年齢の若い層からの候補者が増えていく必要があると感じます」というコメントを出し、いやそれは推薦人を一定数集める仕組み上難しいといった反論が出れば、「だとするなら、そもそも日本の議院内閣制や、その一端となる総裁選の仕組み自体を考え直す機会なのでは?自民党の派閥解体も進んでいることですし」ぐらいのことを言えば、結局同じ話をしていたとしても、全く違った印象を与えたのではないかと思う。

 

というわけで、「おじさんの詰め合わせ」発言とそれへの反発にまつわる分析は以上だが、一応触れておくと、これは「男性は女性にデートで奢るべきか」という議論などにも関係しており、つまり今後そこかしこでこういう問題や議論は勃発するものと予測される(女性の性被害の告発を容易にする社会構造を作るべきであると同時に、男性による女性からのDV被害などの訴えもやりやすくする仕組みを整えるべき、というのも同じ問題系である。ちなみにここで当然おさえておくべきなのは、女性であればみな同じ意見を持っている訳では当然ないし、男性も同様ということだ。特にミソジニーやミサンドリーはそこを無視して主語を拡大した投石行為を始めがちなので、その不毛からは距離を取るべきだろう)。

 

それを象徴する件として、今回の発言とそれへの反応には興味が湧いたので取り上げた次第。

 

以上。


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