自分は他人を絶対に裏切らないし、他人もそうだと思っている人間は端的に言ってアホだが、さりとて真逆の「裏切ったもん勝ち」というのもおバカな発想と言える。なぜなら、裏切り続けた人間は不信・排除の対象となるわけで、それは長い目で見ると自身の不利益はもちろん、その身を亡ぼすことにもなりかねないからだ。
「他者」というものは信用できるかわからない存在だからこそ、信頼の構築(関係性の履歴)やそれに向けたメッセージの表明(非言語的なものを含む)が重要なのであり、それは道徳やお題目のためだけでなく、それによる正当性の確保など、合理的・戦略的な理由によるところも大きいと言える(でないと、いつ後ろから刺されるかわからんからね)。
てなわけで、冒頭の「戦国時代の外交」に関する解説です。今回は上杉氏と北条氏の越相同盟成立や武田氏などとの背景などを見ながら、同盟の締結と破棄、そしてそれに伴う諸々のコストなどが述べられておりますよと。
この顛末を聞けば、それぞれが自己利益を拡張する思惑で動いているのはもちろんあるが、それ目掛けてひたすら突っ走ろうもんなら、即袋叩きに遭うリスクに直面する(これはヨーロッパの勢力均衡なども同じ)。だからこそ、根回しやら何やらで外交とは基本迂遠なものであり、「力こそ正義」みたいな脳筋プレイはよう通用せんということを示す好例と言える(有り体な表現をすれば、「戦争は外交の延長」であり、またその最終手段であるという話)。
以前、「自己中心的」であることについての記事を書いたが、そこでは「自分のことをしっかり考えるからこそ、周りのことも考えないわけにはいかない。それをやらなくていいのは、よほどの才能の持ち主か、周りが全く見えない=救いがたいほどのバカかのどちらかだ」という趣旨の話をしたが、外交や内政についても同じことが言えるし、さらに卑近な例で言えば、もはや共通前提が次々と消失している中で、暗黙知や忖度による空気読みではなく、透明化したルール設定が求められるようになっている現代日本社会においても、公共の場での振る舞いは、暗黙知による慣れ合いでもなく、ルールを無視してただ自己主張するだけでもなく、こういった意識や戦略性が当然のように求められるようになっていると言えるだろう(まあその真逆はバカッターなわけだがw)。
以上。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます