さよならを教えて~卑屈さと尊大さのはざまで~

2011-05-13 18:18:29 | ゲームレビュー

さよならを教えて」レビュー復活第二弾。最初のとどれくらい期間を開けて書いたのか今となっては覚えてないが、前回のレビューと同じくカルトな雰囲気を意識したらしいことはわかる。なお、最後の方にある「人間の認識の危うさ」は、「人間という名のエミュレーター」や最近よく言っている「境界線の曖昧さ」と同じで、自由意思信仰や自己責任の妄信にも繋がりますよと(偶然性の意識の欠如)。ただそれよりも何よりも、卑屈なようで偉そうな、あるいは卑屈なようで偉そうな屈折した自分の文章の方がおもしろい、と思うのは俺だけか。その有様は原作の主人公の屈折を思わせるが、そういうアナロジーという点で見てもおもしろいのでは(ま、あそこまで重症だったら今ごろ白い壁の中にいるだろうがねw)?なお、何のことやらさっぱりんこな人は目黒御幸(メガネっ娘)と主人公の会話とその意味を考えてみてくださいなと。

 

さてまあ「大概の人」はエロゲーをやる際に人間のグロテスクな精神世界なんて求めてないわけで、あのゲームの内容に引くのは当然やっちゅー話であるwこの作品見て「あぁ、コミュニケーション=オナニーってことか」とか「泣きゲー=レイプファンタジーの構造を見事に先取りしている」なんて思ったらそれこそ特殊な人間ですわなwたとえ巣鴨睦月によるあからさまな「泣きゲー」のはらむ欺瞞の告発が最後になされたとしても、その頃までにはプレイヤーは延々と続く夕暮れの世界に嫌気がさしてしまっているだろうとも思うし。てなわけで、嫌気がさした大半の人とカルトな雰囲気が好きな少数の人が残されたのでありましたとさ。まあこの作品を不快に思ったプレイヤーたちも、「エロゲーなんて抜けりゃいいんだから、こんなしちめんどうな表現やる前に望タンとガンガンやらせろやw」とか「とりあえずぼくはとなえをにんしんさせたいとおもいましたまる」とか言ってればいいと思うわけだが、まああまりに不快すぎてそんな余裕もなかったんやろう(「ヘタレと自己認識」)w

 


<原文>
※以前書いた怪作「さよならを教えて~comment te dire adieu~」の世界に関する内容です。一応ネタバレするのでやったことない人は読まないことをお勧めします。てゆうか、それ以前に意味わかんないと思いますが(^^;)どうもこのゲームは内容に引くだけの御仁が多くてレビューらしいレビューを見たことないんですよね…簡単な評価はすでにやっているので、「さよなら」に相応しい断片的でちょっと変わった書き方をしてみましょう。この断片から湧き上がるイメージは、ある意味「さよなら」の世界を最もよく表現するレビューと言えるでしょう。

 

[Fragment]
■代理自殺

■擬人化なんて誰でもやってるよねー

■人物像は認識する側によって如何様にも変わってくるもの

■誰と邂逅するかで変わらないはずないじゃん

■投影―死滅―その先にあるものは何?

■破壊衝動[本当に破壊したいものはどこかあるのかどこにもないのか]

■かけてほしい言葉とかけられる言葉はいつだって同じもの

■自己正当化=ここにいていい私→理由の転換

■見えないものは存在しないもの

■天使と他の人に存在する断絶、見えるようでその実見えない境界線etc...


でまあ突き詰めれば前に書いたような「人間の精神世界」という話になるんですな。もっと言えば、今まで散々書いてきた「人間の認識の危うさ」ってやつです。その見地に立てば、よくもまあこんな作品作ったものだと関心しますが、大概の人は引いちゃうみたいですね。いやそれこそ健全な証とも言えるんですけど(^^;)まあ「理性も狂気の一種」とか「認識の相対性」とかいうワードに反応する人は向いてると思います。ただ、生半可にサイコ系エロゲーだと思って手を出すと火傷するでしょうね。このゲームの狂気は外へ開いているものじゃなく、内側に収束していくものなので。人の精神世界を(混沌も含めて)一つの芸術作品だと思えるような人は是非やりましょう。ではこのへんで。adieu.


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