なるほど赤穂事件に到るまでの経過分析ね。浅野が切腹した後の対応策を会議する場面については、苦しい状況で威勢のいいことを言いたくなるメンタリティと、それに流される周囲、その中での組織のハンドリング方法が分析されていて、特に興味深いわ。当時は綱吉時代でちょうど武断政治から文治政治への過渡期で戦国の気風とともに中世的自力救済の意識が残っていたこと、そして幕府が即日切腹を命じて詳細を調査しなかったことにより加害者感情の忖度の余地(これは後述する本能寺の変などを想起)を残してしまったことなどが議論を紛糾させる要因となった。
もう少し詳しく言うと、幕府側としては重要な饗応の場でいきなり切りつけ、吉良が反撃をした訳でもないため、一応の聞き取りをした上で(おそらく綱吉の意向により)即日の判断を下し、断固たる姿勢を示したのは理解できる。しかし、動機がブラックボックス化した結果、それだけの事をするにはよほどのことがあったに違いないと考える傾向が生まれただけでなく、そのように十分な理由があったと信じ、かつその理解に基づき復讐を遂げることこそ「忠義」であり、様々理由をつけてそれを止めようとするのは臆病風に吹かれた不忠者・敗北主義者のやることだと非難する言説が力を持った、ということである。
私がこの件で特に興味深いと感じたのは、このような傾向が、太平洋戦争などでも強く観察されたことにある。例えば「日本の一番長い日」として映画化・リメイクもされている、1945年8月上旬の講和か本土決戦かという会議と、「聖断」によるポツダム宣言受諾に異を唱えたクーデター未遂事件=宮城事件を想起したい。議論のある点だが、仮に陸軍大臣阿南惟幾が講和せざるをえないと考えていたが部下たちの暴走を止めるために「腹芸」として反対を主張し、最終的には講和受諾に賛成するという行動は、堀部ら過激派をあえてより過激な提案で抑え込み、最終的には暴走を食い止めた大石内蔵助のそれと類似しているように思える(もちろん、結果的に一部本土決戦派による宮城事件まで起こった太平洋戦争末期と赤穂事件の例が全く同じというわけではないが)。
で、戦争終結の時は辛くも乗り切ったわけだが、逆に開戦の方は、そもそも敗北必須と戦力比較など様々な分析でもなっていたのに、その現実とのギャップを埋めるための「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」といった精神主義が唱えられ、さらに赤穂事件の堀部たちと同じ事情で、過激なことを言えば言うほど(否定すれば臆病風・敗北主義者と指弾されるため)周りが反論しづらくなって空気を掌握できてしまうがゆえに、丸山真男言うところの「次々となりゆくいきおい」によってズルズルと開戦まで流されていった訳である(ここに意図して作り上げられた無責任体制が深い影を落としていたことは言うまでもない)。
というわけで、赤穂事件における赤穂藩改易当初の会議の運営は敗戦間際の日本のハンドリングを思わせるし、逆にそれを踏まえても結局討ち入りという決定になったことは、太平洋戦争にズルズルと突入していった件を想起させる(赤穂浪士たちが討ち入りに到る経過は下記動画も参照。ただし、動画作成主の解釈通りだとすれば、少なくとも大石[たち]は危険な選択の中で最善は尽くした、と言えそうである)。
このようにしてみると、この赤穂事件に見るべき美徳が忠君や忍耐として毎年のように放映されてきた一方、そこに組織の暴走メカニズムや、テロールとそれを正当化する構造(これは五・一五事件に対する世間の評価も想起)を見るような解釈が決して一般化してこなかったことは、大半の人間が太平洋戦争の構造を深く理解することもなければ反省することもなく過ごしてきたことを意味しているように思える(エンターテイメントなんだからいいじゃないかと思われるかもしれないがむしろ逆で、お題目を気にしないエンターテイメントの方にこそ「本音」や「本質」がむしろ表出しているのではないか)。
言葉足らずの部分も色々あると思うが、私はこれまで「忠臣蔵」という時代劇が放送されているのを見て、違和感を覚えたことが何度もあったが、今回の動画を通じてそれをある程度言語化できたように思う。
つまり、単に歴史的事実との乖離や都合の良い勧善懲悪的に問題を感じるというだけではない(というよりそれはむしろエンターテイメントとしてある程度当然の脚色だ)。そもそもここで理想視される話の構造自体が、少し前に自分たちを地獄へと陥れた流れと大きく類似する性質を持っており、それを疑問にも思わず視聴し受け入れてきたことは、あの戦争において「自分たちは悪いことをした」と一億総懺悔教育から右へ倣えで考えても、「自分たちはダメだった。ならばなぜダメだったのかを理解し、二の轍を踏まないようにせねばならない」とは思わなかったのだなということである(まあマスメディアに煽られつつ一般民衆の多くが戦争に突入することを支持していた、なんてやると「じゃあまた同じ事が起こるやんけ」って話になってしまうんで、「一部の人間が暴走したことが原因で、その連中は排除しました」とした方が、まあわかりやすいしアピールは容易だわなって話でもある)。そしてそうである以上、今まで問題点が改善しようもなかったのは当然のことである(自分の抱えている症状の背景がわからない人間が、一体どうしてそれを効果的に緩懐できようか)。
「失われた30年」をはじめとして、政教分離の不徹底(旧統一教会や日本会議と自民党などの関係)、ジャニーズ問題に見られる閉鎖的芸能界・芸能事務所のガバナンス機能不全、大手マスメディアの官僚主義化と機能不全など、昨今は単発の問題ではなく、大きく言えば組織の機能不全という問題があちこちに噴出していると言えるが(もちろんそれは独り日本だけの問題ではなく、外部環境の変化も関係している)、今述べたような構造的理解とそれに基づいた改善策の提案・実践が欠落ないし不徹底だった日本がそうなっているのは、ごくごく必然的なことだと思える次第である。
以上。
【余談】
赤穂事件もそうだけど、刃傷事件があった→それだけ重大な理由があったに違いない(本当はただプッツンしただけかもしれんのに?)、討ち入りを果たした→始めから着々と計画をしていたはず(反証材料はちゃんと検討した?)・・・という具合に、結果を知っている我々は、つい結論から逆算して物事を考えてしまいがちである。
例えば「明智光秀は本能寺の変で信長・信秀を死に追いやったのだから、そうまでする重大な理由があったはずだ」、「足利尊氏は室町幕府を開いたのだから、始めから自分が権力を握るつもりだった」、「日本人は大半が無宗教と自己認識する特異な国だから、そうである原因が元々あったはず」などなど。
人間という生き物は基本的に物事を体系的に理解したいという欲望を持っているので、よほど意識していないとこのような傾向に歯止めをかけることはまあ難しい。
その意味で物事の理解とは、常に「現実の複雑性」と「その一般化・抽象化によるパターン理解」という二つの相反するものの両方を見やりながら進めていく、実に緊張感に満ちた営為であると言えるかもしれない。
なお、足利尊氏のキャラクターについては以前から様々に議論があるが、それを幕府樹立という結論から一度自由になって検討するとどのように見えるかは、次の動画などを参照。
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