「沙耶の唄」という類まれなる傑作について、再掲の形ではあるが、30の記事を書いてきたし(閲覧ページでは「31」になっているが、編集中の記事が一つ含まれている)、また専用の記事以外でも様々な場面で触れてきた。
その中で、涼子(女医)が山小屋から世界を眺めるエンディングを取り上げて「彼女は狂っているのか、それとも正常なのか。正常だとして、それを認識できる彼女は幸福なのか、不幸なのか」という趣旨のことをマトリックスなどにも触れつつ書いた。これは薬物による意識の変性や世界認識の変化の是非(より技術を高度化していくとディックやイーガンの作品になっていく)、あるいはノイズ排除の必然性と是非などに関わってくるわけだが、このような視点は自分たちが生きている社会システム(とその相対性)への認識という点で「キム・ギドク」や「成ル談義4」、「包摂の欠落」のような記事、あるいは同じ作者による傑作「魔法少女まどか☆マギガ」とも繋がるのだが、端的に描かれ、また理解しやすい作品として藤子・F・不二雄の「流血鬼」という短編をお勧めしたい。
余計な知識を入れない状態で読んでほしいので内容は一切説明しないが、原作からの翻案の仕方については「聖☆おにいさん」に関する記事で話した「日本的想像力」とも繋がるし、また誤解を恐れずに言えば、「海のトリトン」のアニメ版ラストで描かれたようなある種のパラダイムシフトを含んでもいる豊かな内容となっている。
「沙耶の唄」やまどマギに強く感化された人は特にそうだが、「ドラえもん」ぐらいしかF作品を見ていない人にもぜひ一読してほしい作品である。
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