笑いに関する覚書

2010-10-02 18:02:09 | 抽象的話題

「ムーたち」の書評を書いて一カ月ほど経った。
この記事は、元々2009/10/18の「『えろ素』再読」に続く「ムーたち」のネタとして用意したものだった。しかし、「ムーたち」なので対話篇かつその過剰性を模倣しようとしたら、笑いの話からカテゴライズや思考様式一般の話まで拡大して収拾がつかなくなり、しばらくはお蔵入りになっていたという次第。近いうちに境界線の恣意性や沙耶の唄の記事でそれらにも触れることになると思ったので、一応覚書を掲載しておこうと思う。


【笑いなあムー夫】 
助太刀鈍重汰、モーリストーリスJr.猫や花の後に女の子に告白するなんておかしくない?なあムー夫、ズレが笑いにとって重要。M-12003フット…SMタクシー「そんなのねーよw」「そこは~だろ!」って突っ込みが背景にあるだろ。おバカなネタの笑いも、結局は普通からのズレなんだ。あるあるネタは違うんじゃ?ただし、ズレは違和感や気味の悪さに繋がることもしばしば。パロディとかは?本来あるべき姿からの逸脱が笑いを誘う。その意味じゃ本編の従属ブツにすぎない。中心の不在みたいに言われているが、乱立するパロディはむしろ中心を強化するんでないか?感覚と理論を明確に分けるは不可


【笑い2 あのなあピー坊】
ってことは、逆に言うとネタにして笑う行為もまた、距離をとったり高みから見下ろしているように見えて、実は何がしかの基準に従属してるだでないかな?笑いやパロディが嫌いなの?それならお笑いの記事なんか書くはずない。俺が言っているのは、そのような笑いやパロディによって人が虚無の中に意味を見出だしているってのはほとんどの場合幻想で、結局はベタに「普通」の基準に従属しているだけなんじゃないかと言ってるんだ。そもそもネタにする際の「普通」基準ってどこまで一般性があるのかいな?内面化された規範を相対化せよ。ネタが規範を温存させる(ex)「オタク」の保守性


【ムーたち処方、という形式】
対話篇。笑いとは?花に告白→女(=ブス)。時間と会話のズレ。豚の吊り広告の例。豚のマイナスイメージ。セーラー英作文、お笑い、パロディ。笑いはズレ。あるあるネタ突っ込み。つまり基準が必要(豚でさえもという逆説も同じ)。笑うのは基準に乗っかること。感覚(感情)と理性(理論)の明確な二項対立は成立しない。フレームの自覚によって笑いが生まれることはあるが、笑っているからといってフレームの自覚があるわけではない(ネタ的コミュ、枠組みの支配)。笑い否定?100or0思考はダメ。笑いは自由を意味しない。ボーボボ→唐突さ。感覚を端緒に分析を開始。。高校生→笑いわらかず。法則性を見出ス


【ムーたち書評2】
感覚と理論の二項対立など存在しない。例えば受験に失敗して泣いてるのは…受験のない社会では…井戸に落ちそうになる子を助けるのは「純粋な」感情?いかにして、それが後天的・戦略的なものなどではなく「純粋な」ものであると証明するのか?またどこまで理論でどこまで感覚という境界線も定めようがない。しかし少なくとも、それが明確に区分できるものでないことを意識するのは重要だ。思考停止に陥らないためにもね。その観点で言えば、「人権」など実在しない。擬制である。ほら、疑うことさえまるで大それたことのように考える。それを「信仰」と言うんだよ。


【ムーたち3 リストより招魂】
なぜキッズ案が笑えるのか?花より女の子に告白しているから。しかもそれを受け入れてるから。豚の吊り広告。豚のイメージとの乖離。逆説的に…としてもそこに豚の通俗的イメージがなければ成立しない。大学入試でアニメの話かよ!求められてるものを読み取れよwそんなに頭がいいのに何でそこを無視するかなw→内容を吟味してないから権威主義。期待するもの上野「学校化」東大生の性質。お葬式でご臨終ですと言った後に起き上がる→雰囲気のギャップ、ズラし。ムー夫…笑いとはズレを楽しむこと。あるあるネタ。逆に言えば、その行為・感覚に従っても自由どころか隷属かも


【ムーたち4】
笑いがズレから生じることは理解されてるのかな?それは怪しいな。例えば榎本の本に「思ってたより~」てのがあるが、もし意識してたらあんな本が出るかね?シュールな内容書く奴は人格も変わってると思うから、ギャップを感じてそう言うのだけど、笑いはズレであるから基準に自覚的じゃないといけないとか、不条理を書くには条理を知らないとどうしようもないといったことをきちんと認識していたら、そんな発言は出ないんだよ。まあ「おかしいに違いない」と色眼鏡で見た上での「フツー」って所には気を付けないといけないが、その本の題名とニーズが全て物語ってる。


【無題】
というのも、あるべき姿というものが認められており、それをズラすがゆえに笑いが生じるのであって、準拠枠がなければズレも生じようがなく、笑いも生まれないのだ(東に対する宇野の批判)。作家(性)はone of themにはなったかもしれないが、それは無意味か


【そんな作者に一言 ゴッドブ】
不整合を整合させるための飛躍。誇大妄想。「神の罰」、ヒューム、科学…何の根拠があって個別具体的な特徴を一般化できるのか。「普通」とのズレ。下着売場がそんなとこにあるのがおかしい。しかもそれを整合性のあるものとして強引に解釈したのがおかしい。豚の広告はかわいらしくてもキレイではないというズレ。何も考えていない(理解されない上理解されたらかえった反感を買うような意匠を使いはしない)のに戦略があるかのように考えるから笑える。セーラームーンのはそのままおかしいのに疑うところ(水かけただけ)で終っているから笑えない。


【笑いと解放感】
じゃあ笑いは解放感があるけどちっとも自由じゃないんだね。気をつけなさいムー夫。そういうことを言ってると「死んでほしい人」にリストアップされるからね。でも自分で全部選ぶなんてめんどくさいね。自由ってそんないい事なの?ぼく縛られてた方が楽でいいや→パパ逃げるの図(にげり)。


【笑い】
でもお父さん、赤ちゃんや小さい子が笑うのって基準に基づいてるの?恐いときにむしろ笑っちゃうのはどうなの?いいところに気付いたぞムー夫。もっと色々な角度から考えてみよう。センセーションを巻き起こすぞ。でもお父さん、みんなそんなこと知ってるんじゃないの?なあムー夫、知っていたら筒井康隆が「意外に普通の人」とかいう馬鹿げた発言が出てくると思うかい?基準をズラせるってことは基準を知っていて当然なのに、だ。じゃあ結局表面的ってことだね。然り。じゃあ何で作者は「意外にフツー~」なんて本を出したんだろ。社会人の悲哀。共犯関係に一言。ゴッドブレスユー

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