旅というのはそれ自体がおもしろいのももちろんあるが、それをきっかけにして興味の幅が広がる点が大きなプラスだと思う。
例えば今書いている四国周遊であれば、讃州細川家や三好氏、金毘羅山などがそれにあたり、前はぼんやりとしか知らなかったものを詳しく調べてみたいというモチベーションが生まれるのである。
自分は具体的なきっかけがないと興味をもてない性分なので、それを踏まえた上で「きっかけを作ってしまえばいい」というのも、旅を計画する理由にもなっている。
こうして、「旅してみる→興味の幅が広がる→それを調べてみる→新たな興味→それに基づき次の旅へ」というサイクルを作っていたわけである(まあコロナでしばらく地域限定になってはいるが、それでも笹子峠や滝山城を訪れてみたり、武蔵野線を周遊してみたりはしている)。
で、そんな風にして自分の中で持ち上がったのが「島根」であった。親戚が昔住んでいた・出雲大社・岩見銀山といった断片的なとっかかりはあるが、正直全くイメージが湧かない「秘境」のような場所となっていたため、じゃあいっちょ行ってみますか(・∀・)!と訪れた次第である。
その記録は近いうちに書くと思われるが、それをきっかけに興味を持ったのが出雲という地勢、そして尼子氏である。そもそも室町時代のカオスな状況は様々このブログでも取り上げてきたが、それを地方を軸に見ると輪をかけてぐちゃぐちゃであって、家格などの大義名分は機能しながらも、最善手を模索して「今日の敵は明日の友」と言わんばかりの離合集散が繰り返される様は、大変興味深いものであった(ヨーロッパ中世でも見慣れた光景w)。
そのような中で、尼子氏がどう台頭し、拡大したのかを見ていくと、自分の歴史像が江戸時代の軍記物の影響を多分に受けていることを知ってアップデートされるとともに、たとえば「武士道」(笑)とか、「二君に仕えず」(笑)のような形で後世の言説というか理想像が相対化されていくのもおもしろい(まさにそれは、太平の世なればこその理想像)。
なるほど新渡戸のおじさんが「武士道」なるものを世界に訴えたのは、野蛮な武士にも、西欧の騎士道と同じようなエートスがあるんや!ということで日本が列強の仲間入りをすることに資する目的があったというのは理解できる。しかし、背景を知ることと、その発言を鵜吞みにすることは当然別物である。
・・・といったことを考えるきっかけにもなっているわけで、やはり旅はよいものだなあという小並感でこの稿を締めることとしたい。
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