私が「ファスト教養」というものを個人的には全く受け入れられない、という話はすでに何度も述べた通りである。また、私の「教養」観念については、それを体現する人物としてアリストテレス、ヴィトゲンシュタイン、小室直樹を例として挙げた。
今回の記事では、その点を少し掘り下げ、自分の「教養」観念の形成について書いてみたいと思う。というのも、それが結果としては「ファスト教養」に対する批判的視座にもなると考えるからだ。とはいえ、自分の「教養」観念は自分からそれを追求した結果として形成されたものではないため、あくまで「教養」観念に影響を与えた象徴的な話をいくつか取り上げるようなスタイルをとる旨ご了承いただきたい。
1.学校で教わる内容ごときを「教養」とは呼びがたい
中学1年の時最初に学校で受けた模試で、どうしてもわからない理科の問題があった。それは「人間が森に入るとリラックスした心情になる要因とされる物質を応えよ」という問題で、選択肢は4つあったが、覚えているのは「フロギストン、クロロフィル、フィトンチッド」であった(覚えていないもう一つは答えにならないとすぐ判断できたため、そもそも記憶に残らなかったと思われる)。どれも聞いたことすらなかったので、とりあえずクロロフィルを選んだのだが、結果はフィトンチッドであった。
これだけだったら「難しい問題が出た」で話は終わりなのだが、中学1年で同じクラスになった友人(ちなみにフランス旅行を計画している時にやり取りしていた人)が「フロギストンは酸素の前に燃える物質と考えられていたもの、クロロフィルは葉緑素のことだね」と別にドヤという雰囲気ももなく飄々とすらすら説明したのであった。
世の中にはスゲー奴がいるもんだなあ(悟空並感w)くらいの印象だったが、自分が学校で習っていること=常識ぐらいにぼんやりと思ったレベルをやすやすと超えてくる人間が身近にいるわけで、学校で教わる内容ごときが何ぼのもんじゃいと思うようになったきっかけの一つである(ついでに言うと、フロギストンを学校教育で習ったことはついぞなかったし、フィトンチッドは大学入試の時の英文で目にした以外はこれまたお目にかかる機会は一度もなかった)。
またもう一つは具体的なエピソードがあるわけでないが、小学校の時によく遊んでいた木場氏(読書会の相方)も、やり取りしている時に小学校低学年で全く習っていない領域の話(「鷹爪脚」の読みや「概数」など)を普通に知っていることが様々あり、これまた「教養」というものが学校レベルを超えたものであるという観念の形成に多少は影響しているかと思う(ちなみに念のため言っておくが、じゃあ高校までの内容を自分が完全網羅しているかと言うとそんなことは全くないわけで、その程度のレベルでしかないという意味でも「日暮れて道遠し」なのである)。
2.学校で教わる内容の限界と穏健な懐疑主義の重要性
とここまで話を聞いて、ちょっと待てやと思われる御仁も多いだろう。「学校で教える内容って即効性があるかはわからんけど重要なことも色々あるで」という具合に。誤解のないように言っておくが、私が言っているのは学校教育が無駄だとかそこで教えることがレベルが低すぎるといった話ではなく、単純に私の観念する「教養」は学校教育で教わるレベルより範囲が広い、というだけのことである。
これについて、もう少し実際的な話をしよう。例えば「江戸時代は鎖国をしており、海外とのやり取りは極めて限定されたものであった」は〇か×か?一昔前の教科書で学んだ人なら〇を選ぶだろうが、現行の教科書で勉強した人なら×を選ぶ人も少なくないだろう。というのも、現在では「鎖国」という言葉は使われず、「鎖国的体制」のようなふわっとした用語に置き換えられるとともに、いわゆる「四つの口」などが紹介されたりしているからだ(GWで行った対馬なんかもそのうちの一つ)。つまり、現在の教科書的記述における江戸時代の外交とは「部分的海禁政策」とでも言うべきものであり、かつての教科書で言われていたような「鎖国」という閉鎖的な体制ではない。
ではなぜこのような実態との齟齬が生まれてしまったのかと言えば、明治政府が江戸幕府を批判して自分たちを上げるために、「明治政府=開国=開明的・近代的」、「江戸幕府=鎖国=閉鎖的・前近代的」という二項図式でもって説明しようとしたからだ。つまり政治的プロパガンダが歴史的記述に影響を与えたということであり、この辺は『戦国武将、虚像と実像』でも書かれた朱子学や皇国史観の影響を思い起こすとよいだろう。そしてこのような図式的理解に疑問が投げかけられ、実態把握への熱意と検証がなされるようになったのは1970年代以降となる(cf.『近世史講義』)。
今の例で言いたいのは、確かに「江戸時代=鎖国」という観念は高校で習った内容ではあるかもしれないが、実態理解としてup to dateなものとは言い難い、ということだ。これはひとり歴史(社会)だけでなく、例えば化学では昔と今で表記の単位が変わっていたり、英語で関係詞の説明に変化があったりと、様々な領域で変化は生じている。このことからも、学校で教わること(教わったこと)=「教養」という観念は、それをいたずらに権威主義化してしまうという意味でも不適切な発想だと言えるのである。
よって重要なのは、何度かこのワードを出しているが、「穏健な懐疑主義」であり、もっと言えば、それに基づいて様々な情報を検証しながら今自身が持っている認識を慎重に、しかし確実に更改していこうとする不断の学びの姿勢である。「教養」とは単に知識だけの話ではないとよく言われるが、今述べたことを踏まえると、学びに対する姿勢もまた「教養」を形作る極めて重要な要素である、と言えるのではないだろうか。
さえ、以上2つの話を踏まえ、ここからさらに大学時代の経験に話題を進めようと思ったが、結構な量になったので別稿に譲りたいと思う。ではまた。
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