まとまった記事を書く時間が無いので、前回の「『神の罰の起源』:その合理性と必然性」について補則だけしておきたい。
前回の内容を簡潔にまとめると、非合理的かつマゾヒスティック(※)に思える「神の罰」は、実のところ合理的で積極的な側面を持っている。このことは、「神の罰」が広く普及した要因を考える上で重要である。「神の罰」が「堕落した」世界・社会を批判する根拠になっただけではなく、不条理な世界(天災・事故など)を合理的なものとして受け入れる契機を与えたからこそ「神の罰」は人の心を捉えたのではないだろうか。
※
マゾヒスティックと言うと誤解を生むかもしれないが、要は豊かさや自らの欲望に罪悪感を覚えたり、禁欲を是とする考えが生まれるといった人間の不可思議な側面のことを言いたいのだ(ただし、欲望に忠実に生きた結果自分が破滅したり、あるいはそういう他人の姿が禁欲や自制が必要だと感じさせる要因にもなった場合も少なくないと推測される。この場合は、マゾヒスティックというより合理的な側面が強いと言えるだろう)。
前回の内容を簡潔にまとめると、非合理的かつマゾヒスティック(※)に思える「神の罰」は、実のところ合理的で積極的な側面を持っている。このことは、「神の罰」が広く普及した要因を考える上で重要である。「神の罰」が「堕落した」世界・社会を批判する根拠になっただけではなく、不条理な世界(天災・事故など)を合理的なものとして受け入れる契機を与えたからこそ「神の罰」は人の心を捉えたのではないだろうか。
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マゾヒスティックと言うと誤解を生むかもしれないが、要は豊かさや自らの欲望に罪悪感を覚えたり、禁欲を是とする考えが生まれるといった人間の不可思議な側面のことを言いたいのだ(ただし、欲望に忠実に生きた結果自分が破滅したり、あるいはそういう他人の姿が禁欲や自制が必要だと感じさせる要因にもなった場合も少なくないと推測される。この場合は、マゾヒスティックというより合理的な側面が強いと言えるだろう)。
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