とある作品が二度目の実写化をされた。私はこれについて全く興味を持っていないので何も書かないつもりでいたが、友人が実写化のことを連絡してきたので一応備忘録的に記しておこうと思う(ちなみに見ない理由は、以下を読むと評価してないからと見えるかもしれないが、単に他のことに忙しいからである。今は企業法・高等数学・古典力学に興味がいってて、にもかかわらず読んでるのは「災害ユートピア」という謎の状況なのでねー(・∀・)なお、作品名はあえて出しませぬ。まあ見る人が見ればすぐわかるだろうと思うので)。
話題のアニメ化から一年半も経って二度目の実写化というのは、いささか時間が経ちすぎている感はあるが、まあかなりハードルが上がっている状態でのメディアミックスということであれば、構想にそれなりの時間を要したということであろう。また、現代編の描写を入れたり(※1)など新しい要素を入れているとのことで、人気に便乗して金を稼ごうという魂胆だと批判されないぐらいの準備は整えてきた、ということなのだろう(もうちょっと製作者側に寄り添った言い方をすると、「熱が完全に冷めきらないうちにより多くの人にこの作品を見てもらおう」という意図もあるのかな)。
しかし、私は正直実写化にかなり懐疑的である。まず、原作で多用される暗示・暗喩はともかくとして、主人公を始めとする人間たちのコミカルさはよほど演技力がなければ、かなりわざとらしく写ってしまうということだ(まあ映画版「嫌われ松子の一生」のように、あえて戯曲的に描く方法もあるだろうが、ドラマでその手法は難しいだろうし)。この作品において、コミカルさを抜きに語ることはできない。なぜならそれゆえに、「あの時代≠同時代の人にとっても完全な暗黒時代」ということがわかるし、また後半におけるトーンの劇変が重くのしかかってくるからだ(※2)。
それを踏まえた上でなお、二度目の実写化に踏み切ったことを私は蛮勇と呼びたくなる誘惑にかられるが、ともあれコミカルな展開、同時代の丁寧な描写、重層的な人間の描き方、巧みな隠喩(※3)とまさに心血を注いで作り上げた比類なき傑作を、どのようにして新しい形に落とし込むのか、製作者・演者たちの技量が問われていると言えるだろう。
※1
この演出が適切かどうか、というのはまた別の話である。私は全く見ていないので何とも言えないが、さすがに後々につながる伏線ではあるのだろう。ただ、今と現在がつながってるんだぜ(だから君たちも身近に感じてくれよ)的な演出がいきすぎてて、(後述するが)原作やアニメ版が慎重に回避したお説教的要素を強めてしまうんじゃねーか?と勝手に危惧したりもするが。
※2
「狂った時代の狂った人たちではない」という認識は、登場人物たちを身近に感じさせる効果があるのはもちろんのこと、例えば「ナチス=理屈が通用しないくるくるパーでなかった=我々も状況次第によってはそうなりうる」という気づきに到ることにもつながる(というか、そのことを理解しないお説教反戦映画と、ただ「頑張ったから素晴らしい」的な度し難い肯定映画ばかりが跳梁跋扈してるのが問題なんだが)。それなしに、一体どうやって「私たちがそこにいたらどうなるであろう?」という問いを受け手に考えてもらえるというのか。
ちなみに後者については、原作は「左手で歪んだ世界を描く」という手法で十二分に読者がもう今までの日常が決定的に変わってしまったことを実感できるような演出がなされている(そしてだからこそ、ラストの世界に色が戻る描写が秀逸な、あまりにも秀逸なものとして読者の印象に刻み込まれるのである)。
※3
結婚前と結婚後の違う家の天井(を横になって見上げる描写)とか例はいくらでもあるが、その白眉は機銃掃射のシーンだろう。我が身を賭して妻を守り二人の距離は物理的に極限まで近づいているにもかかわらず、二人の心の間に巨大な溝があることはまさにその状況(溝の中で抱き合う)でそのまま示されているのだから。しかも、別にこれに気づかなくても、ちゃんと違和感なく話が繋がって見れるところがまた素晴らしいバランス感覚のなせる業だと思う。
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