さらに豊かな世界へと

2018-07-27 12:20:25 | レビュー系

だいぶ前から話は上がっていたが、いよいよ「この世界の片隅に」のロングバージョンが放映決定したらしい。

 

原作を知っている人には言うまでもないことだが、アニメ版は白木リンとの邂逅を始めとして、戦中の日常生活カルタや枕崎台風のエピソードなどかなりの話が削られている。そのことによってテンポがよく話がよりわかりやすく見やすいのは事実だが、一方で原作の豊かさがかなり削られていることもまた確かなのだ(ちなみに、原作者のこうの文代自身が、どことは明言していないが、「そこも削ってしまうのかと驚いた」という趣旨の発言を対談でしている)。

 

たとえば新バージョンでは白木リンの登場シーンが増える予定だが、彼女は子どもができないすずが苦悩を打ち明けられる唯一の存在であり、本作で登場するすずの呉における(同じ目線を持った、という意味では)唯一の友人でもある。またその発言は、すずが呉で根付こうと心に決めるきっかけを作り出すのに大きな影響を与えてもいるから、この作品を「ある一人の人間がある世界で生きていこうとする話」と捉えた場合、決して外すことのできない人物の一人であるのは間違いない(リンの存在が後景に引くことで、現在のアニメ版のすずは、そこに加わろうという葛藤も含めて、良くも悪くも「北条家の人」という側面が強い。しかし、リンと会っている時のすずはまさしく一人の人間という感を強くするのである)。しかし一方、白木リンの存在はすずの苦悩の要因ともなっている(プラスなだけの存在ではない)のだが、それはとりもなおさず、人間あるいは人間関係の重層性を描き出す点でも重要な役割を果たしていると言えるだろう。

 

次に枕崎台風の件。現行のアニメ版は終戦の後すぐに原爆孤児の話へと続くため、どうしても「戦争モノ」という枠の中で矮小化して捉えられてしまう嫌いがある(実際、自分の両親もそうだったので)。しかし、終戦後の枕崎台風とそれに苦闘する人々の姿は、自然に自らの都合を付託する人間の身勝手さと、またこの作品のテーマがあくまで「人間の生きる営みそのもの」であることを強く印象付けることだろう(というか、逆にこのエピソードを見てもなおただの「戦争モノ」とか「反戦モノ」とかしか見れないなら、申それは受け手の目が何かしらの理由でかなり濁りきっていると言わざるをえない)。

 

以上のようなわけで、このロングバージョンにはかなり期待できそうである(逆に言えば、そのような理由が想像できないドラマ版に私は興味が持てない)。元々非常に深みのある作品であることは知られていたが、さらなる広がりを認識してもらうきっかけになる意味で「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は重要な契機となるのではないか、と思う次第である。


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