ずっと前に、「呪怨」の呪い殺し方が明らかにとばっちりだという友人の感想に対して違和感を覚えたという記事を書いた(※)。今見返してみると、どうも言いたいことが書けてない印象を受けるので、ここでもう一度、対話形式でもって「呪怨」の呪いが非合理的という感想に違和感を覚えた理由を書いておこうと思う(なお、本当にこういう会話が行われたわけではない)。
※
ちなみに私が呪怨を見たのは、史学会の日に「朝から呪怨を見てウツだ」と冗談を飛ばしていたという記憶が正しければ、2005年10月15日朝のことである。
(登場人物) ギーガ=G 熊八=K
G
実はこないだ呪怨を見たんだけどさ、あの展開ちょっとありえんわ。
K
というと?
G
あんな殺され方したら霊(?)の怨念が残るのはまあわかるけどさ、呪い殺された被害者たち完全なとばっちりだぜ!家に近づいただけなんてアウトなんてありか!?
K
殺す理由が不条理だと?
G
そういうこった。殺した当人とかその関係者とかならまだわかるけどさ。
K
じゃあ殺す理由が無いから物語的必然性がない、とかいう不満じゃないわけね?
G
まあそれもゼロじゃねーけど、やっぱ殺す理由がないことそのものに対してイラっとくるね。
K
ねえ、人間は死後どうなるかお前知ってるか?
G
さあ?天国とか地獄とかあって魂がそこへ行くとかそんな感じじゃね?
K
お前、それを見たことあるか?
G
あるわけねーだろ!
K
だよな。ということは、俺達はそれがどんなものか知らない。そうだな?
G
ああ。
K
もし仮に死後の世界があったとしても、それがどんなものかはわからない。とすれば、そこに霊みたいなのがいるとして、そいつらは俺達と同じ考え方をするのかな?
G
さあ、わからんね。
K
そう、わからんのだ。とすると、霊が俺たちの合理性に当てはまる行動や考え方をすると言えるだろうか?
G
言えないねえ。というかわからないと言うべきかな。
K
だとすれば、呪怨の霊が他者を呪い殺す理由が非合理的というのが不満になるのはおかしくないかい?だって、霊に俺たちと同じ合理性を要求しているんだから。
G
オカルトは所詮不合理だからつべこべ言うなと?
K
そうではなくて、お前が呪怨に対して抱いた不満、違和感の源泉をよく考えてほしのよ。言ってみればそれは、オカルトに対しても合理的な思考・行動様式を求める態度であり、人知を超えた範囲であるはずのものを人間世界の合理性で割り切ろうとする行為と言えるんじゃないかな。そのを自覚するのは大事なことだと思うぜ。
G
ん~、今ひとつよくわからんな。
K
例えば一見非合理的でマゾヒスティックな「神の罰」が実は合理的でポジティブな生き方のために作り出されたものだってことを理解できるようになると思うよ。だって、本来人間の不可知の領域であるオカルトもまた合理性によって成り立っていなければならないというお前の考えは、偶然の不幸(天災や事故)などが「神の罰」という一定のルールのもとに起こっているという見方と繋がってくるものだからね。オカルト―「神の罰」という不可知ゆえにルール化されえないものと偶然の不幸という現実の不条理が、合理性という架け橋によって必然的・「論理的」なものだと認識されるに到るんだ。さらにはもう一つ。なあ、お前は神って存在すると思うか?
G
俺はいないと思ってるよ。存在が証明されたことがないからね。
K
なるほど。ところで、地動説が証明されるまでは天が回ってたのかな?
G
まさか。
K
だろ?てことは、存在が証明されていないというのは少なくとも「不在の証明」にはならない。
G
じゃあどう言えばいいわけ?
K
「存在するかどうかわからない。」
G
…煙にまかれてすっきりしない感じだな。
K
そうかい?でもわからないものをわからないと言わないと、わかっていると言う事の信用と価値が下がるよ。ところでさ、存在するかどうかわからないものの性質を、(考察の材料なしに)俺達は「まさにこれだ」と定めることはできるのかな?
G
そりゃ無理だろ。
K
そう、決めることなんてできやしない。そういう前提に立つと、神が慈悲深い存在であることが当然かのようなミスチルのさよなら2001年の歌詞の奇妙さにも気付くはずさ。そこから、神が願望で塗り固められた存在であることも理解するだろう。神がそういうものだと理解したなら、「神は確かにいるかもしれないが、そいつは俺たちを暇つぶしの材料にしながらあざ笑ってるのかもしれんぜ」っていう考え方もできるようになるわけだ。
G
それができると何がわかるわけ?
K
人間は自分の人生にとかく意味を与えたがる生き物だから、人生を無意味にしてしまう上のような神観念はお呼びじゃない。だから人生に意味を与える神観念ばかりがもてはやされる、てところかな。天命万歳!てやつだ。そのことを自覚できれば色々見えてきておもしろくなるぜ。
G
どうもピンと来ないんだけど…
K
おもしろいさ!だって西暦2000年を過ぎた今でも人は人生の意味を求めるのに汲々としてるんだぜ?ことによっては「生きてるだけで価値がある」なんて言辞まで持ち出してさ。見えないものにまで合理性を求める精神は、科学などを発展させつつ人間を未だに縛り続けているってわけだ。しかもそれを意外に自覚して無いらしいことが非常に度し難い。その精神構造を一度はっきりと自覚しなかったら、「平等教」などに縛られたまま一歩も先に進めないんじゃないかと思うよ。
※
ちなみに私が呪怨を見たのは、史学会の日に「朝から呪怨を見てウツだ」と冗談を飛ばしていたという記憶が正しければ、2005年10月15日朝のことである。
(登場人物) ギーガ=G 熊八=K
G
実はこないだ呪怨を見たんだけどさ、あの展開ちょっとありえんわ。
K
というと?
G
あんな殺され方したら霊(?)の怨念が残るのはまあわかるけどさ、呪い殺された被害者たち完全なとばっちりだぜ!家に近づいただけなんてアウトなんてありか!?
K
殺す理由が不条理だと?
G
そういうこった。殺した当人とかその関係者とかならまだわかるけどさ。
K
じゃあ殺す理由が無いから物語的必然性がない、とかいう不満じゃないわけね?
G
まあそれもゼロじゃねーけど、やっぱ殺す理由がないことそのものに対してイラっとくるね。
K
ねえ、人間は死後どうなるかお前知ってるか?
G
さあ?天国とか地獄とかあって魂がそこへ行くとかそんな感じじゃね?
K
お前、それを見たことあるか?
G
あるわけねーだろ!
K
だよな。ということは、俺達はそれがどんなものか知らない。そうだな?
G
ああ。
K
もし仮に死後の世界があったとしても、それがどんなものかはわからない。とすれば、そこに霊みたいなのがいるとして、そいつらは俺達と同じ考え方をするのかな?
G
さあ、わからんね。
K
そう、わからんのだ。とすると、霊が俺たちの合理性に当てはまる行動や考え方をすると言えるだろうか?
G
言えないねえ。というかわからないと言うべきかな。
K
だとすれば、呪怨の霊が他者を呪い殺す理由が非合理的というのが不満になるのはおかしくないかい?だって、霊に俺たちと同じ合理性を要求しているんだから。
G
オカルトは所詮不合理だからつべこべ言うなと?
K
そうではなくて、お前が呪怨に対して抱いた不満、違和感の源泉をよく考えてほしのよ。言ってみればそれは、オカルトに対しても合理的な思考・行動様式を求める態度であり、人知を超えた範囲であるはずのものを人間世界の合理性で割り切ろうとする行為と言えるんじゃないかな。そのを自覚するのは大事なことだと思うぜ。
G
ん~、今ひとつよくわからんな。
K
例えば一見非合理的でマゾヒスティックな「神の罰」が実は合理的でポジティブな生き方のために作り出されたものだってことを理解できるようになると思うよ。だって、本来人間の不可知の領域であるオカルトもまた合理性によって成り立っていなければならないというお前の考えは、偶然の不幸(天災や事故)などが「神の罰」という一定のルールのもとに起こっているという見方と繋がってくるものだからね。オカルト―「神の罰」という不可知ゆえにルール化されえないものと偶然の不幸という現実の不条理が、合理性という架け橋によって必然的・「論理的」なものだと認識されるに到るんだ。さらにはもう一つ。なあ、お前は神って存在すると思うか?
G
俺はいないと思ってるよ。存在が証明されたことがないからね。
K
なるほど。ところで、地動説が証明されるまでは天が回ってたのかな?
G
まさか。
K
だろ?てことは、存在が証明されていないというのは少なくとも「不在の証明」にはならない。
G
じゃあどう言えばいいわけ?
K
「存在するかどうかわからない。」
G
…煙にまかれてすっきりしない感じだな。
K
そうかい?でもわからないものをわからないと言わないと、わかっていると言う事の信用と価値が下がるよ。ところでさ、存在するかどうかわからないものの性質を、(考察の材料なしに)俺達は「まさにこれだ」と定めることはできるのかな?
G
そりゃ無理だろ。
K
そう、決めることなんてできやしない。そういう前提に立つと、神が慈悲深い存在であることが当然かのようなミスチルのさよなら2001年の歌詞の奇妙さにも気付くはずさ。そこから、神が願望で塗り固められた存在であることも理解するだろう。神がそういうものだと理解したなら、「神は確かにいるかもしれないが、そいつは俺たちを暇つぶしの材料にしながらあざ笑ってるのかもしれんぜ」っていう考え方もできるようになるわけだ。
G
それができると何がわかるわけ?
K
人間は自分の人生にとかく意味を与えたがる生き物だから、人生を無意味にしてしまう上のような神観念はお呼びじゃない。だから人生に意味を与える神観念ばかりがもてはやされる、てところかな。天命万歳!てやつだ。そのことを自覚できれば色々見えてきておもしろくなるぜ。
G
どうもピンと来ないんだけど…
K
おもしろいさ!だって西暦2000年を過ぎた今でも人は人生の意味を求めるのに汲々としてるんだぜ?ことによっては「生きてるだけで価値がある」なんて言辞まで持ち出してさ。見えないものにまで合理性を求める精神は、科学などを発展させつつ人間を未だに縛り続けているってわけだ。しかもそれを意外に自覚して無いらしいことが非常に度し難い。その精神構造を一度はっきりと自覚しなかったら、「平等教」などに縛られたまま一歩も先に進めないんじゃないかと思うよ。
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