宇都宮連続爆破事件は、現状分かっている限り、離婚や慰謝料といった生活の悩みからの自殺であるらしい。それを社会的に知らしめるために他人を巻き込む死に方をしたそうだが、私はつい先日書いた「嘲笑の淵源」を連想し、自分も似たような行動を取った可能性について思いを馳せた。
思想ではなく、不全感から「革命」へ、あるいは今回のような「自爆テロ」へ。見通しがたい社会に抑圧される人間たちの包摂をどうシステム化していくかを考えないと類似の事件はますます増えていく可能性がある。ま、システムを作らず自己責任論でいくなら、「星をみるひと」って昔のゲームみたいにそもそも「悪しき考え」すら持つことができない状況にチップでも埋め込んでやっちまうことだな(=監視社会化)。
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