針やはらかに春雨のふる
という歌をはじめて聞いた時、「平凡な自然描写を随分気取った風に表現している」と感じたものだが、結核の悪化する状況で病床より見た景色を詠んだものと知り、ずいぶん印象が変わった。
というのも、死に向かうことを自覚しながら、病床にいて何を為すこともできぬ自身と、春という誕生の季節において、今まさに成長へ向け躍動する瑞々しい自然の様を目の当たりにした心持ちを対照的に記したのだと理解し、そこに単なるレトリック以上の素朴な感動や驚き(事によっては羨望すら)を感じたからだ。
さて、何度か述べているカール・マンハイムの『イデオロギーとユートピア』において扱われる知識社会学は、ある思想を生み出した歴史的文脈を分析・叙述していくものである。
今回紹介したのは正岡子規とその有名な歌が詠まれた(個人的)文脈の話だが、(集合意識=間主観的な共同幻想に着目して)イデオロギーやユートピア思想の由来を知ることは、その解像度を大きく上げることにつながるだろう。
少し一般的な話になるが、例えば天国・地獄なるものが「存在するかしないか」ではなく、当時の状況を踏まえつつ「なぜそのような発想が必要とされたか」を考えることにより、それが「不条理を含む『現世』を、首尾一貫した体系的なるものとして理解するために作り出された設定」と理解する、といった具合に。
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