政治家って別に国民(全体)のために働こうとは思ってないよ、という話

2023-04-04 16:54:31 | 歴史系

 

 

政治体制と権力者の行動パターンが平易に説明されていてわかりやすい。要するに、人間とはその状況に合わせた合理的行動を取るものであって、それを善悪で説明しようとするのは単純すぎる、という話だろう(ウェーバーの言葉が思い出される)。だからその「合理性」の要件を変えることが権力者の行動変化には必要なのであって、ただ権利主張をしたり、ましてただ情に訴えるような行動は愚の骨頂てことだわな。

 

もっと言えば、「政治家(お上)っていうのはおしなべて社会のために働いてくれるものだ」といった江戸時代の仁政イデオロギー(あるいは「大御心」とか「しらす」も類似の発想)のような幻想はとっとと捨て去り、営利企業と同じで、「そうなるような行動を政治家に取らせるには、どのようなシステム・環境作りをすることが必要なのか」を考えるべきなのだろう。

 

そして、「それをやるのには膨大な手間が必要だし、達成できるかもわからんから何もしない」のは、無から有は決して生まれないのと同じように、ただ状況を静観するのと同じである・・・という意味で最後の「政治家は国民のために働いていないように見えるかもしれません。しかし、本当に働いていないのは国民の方なのかもしれません」という言葉につながるものと思われる。

 

ま、現代の先進国ほど問題が入れ子構造になって複雑化していると(その典型が課題先進国日本)、全体として何か仕組みを変えようとするより、自身か小さなコミュニティで部分最適化を図る戦略を採る方向を模索するのは必然的なことだなあ、とも思うわけだが(・∀・)

 

それを踏まえると、批判的に書いてはいるけど、「ファスト教養」の土台となる「システムの穴を見つけて上手く出し抜く」的なメンタリティは必然的に出てくるものやと思う(というスタンスが「ファスト教養を肯定している」ようにも見えるんだろうが)。だって、「人を変えるより自分が変わる方が早い」からね(つまり他人に期待しない)。そして変わらない他者については、その期待に沿うような行動様式を自分が身に着けて(なりすまして)上手くコントロールするか、少なくとも敵にはしなければよろしい、というスタンスになる(これはゼロリスク世代の話にも連なる)。

 

かくしてその行きつく先は、bot>人間的発想となり・・・あとはいつも書いている通りというわけである(・∀・)


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