最近は「ビースターズ」を読み返しているが、最新話から遡るのを終えて、今はビーストコンプレックスと1巻からまた読んでいるところだ。
その度ごとに作品への、そして各キャラクターたちへの愛が膨れ上がっているが、ジャックはその筆頭である。自分をさらけ出すことに、あるいはどう出していいかに苦悩しているレゴシにとって、ジャックは古くからの親友でもあり、理解者であるというスタンスで描かれている。
「事件」の間近に存在している演劇部では、その疑心暗鬼などでざらついた雰囲気が見え隠れする(ただ、序盤で明らかにされるように演劇部はそもそもスカウト制で、そこにはある一定の基準が働いているようだ。これまでの展開からすると、それはチェリートン学園の、ひいては世界を牽引するビースターを輩出するために設定されたリクルート兼養成機関の役割を果たしていると推測される)。その渦中で演劇=ペルソナの向こうで演じるという動きを通してむしろ水面下の本音を発露させていくという展開がおもしろいのだが、そこにアクセントを加えているのがハルであり、ゴウヒンであり、また701号室のメンバーだったりするわけだ(このように関係性を重層的に描いている点もまた、この作品を深みあるものとしている)。
で、ジャックは701ワンズ(何じゃそりゃ)の中でレゴシの理解者として、彼を励ます存在として読者にとって癒しであり続けているわけで、そのあまりの愛おしさに元々犬スキーの私なんかは読み返す度身体をくねって悶絶するという始末(←びょうきじゃんw)。特に12巻末の喜んでる姿は狙っているとはいえ反則モノであるw
では、ジャックは「癒し担当」なのだろうか?それは演出的な意味で間違っていない。しかし、そこで第一巻にてジャックが草食の悪意ある発言に対してみせた反発が思い出される(しかも、それをあの場面で表面化させないこと描写で彼の聡明さも暗示されているのだが)。
彼は間違っても、「ただの(頭と性格が)いいヤツ」などではない。あくまで彼が描かれる場面がレゴシや701ワンズ絡みだからその要素が強く出るだけなのだ。いや、最初期だからキャラ設定がまだあいまいだったんじゃないか?もちろんその可能性はゼロではない。しかし、後に描かれるレゴシとの馴れ初めからすれば、彼のそういう反応(少なくとも明確に反発心を持っていること)は、ジャックという存在の確かに持っている一面を表していると見るのが自然だろう。
逆に、優等生でいいヤツとみなして「お前は頭も性格もよくていいよな(俺の苦労なんてわからないだろ)」、「そんなヤツだとは思わなかった」みたいに考えることこそ、現実世界でもありがちな抑圧や嫉妬の構造そのものと言える。そう考えると、ジャックの二面的な描写は、ハルとは違った形でビースターズという作品世界のテーマをよく表しているように思うのである。
でもやっぱ、いぬ、かわ(うま、かゆノリで)w
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