ひぐらしの初期の方向性:ホラーと「終末」

2006-08-05 21:00:41 | ひぐらし
以前「ひぐらしの方向転換」で、最初の頃に使われていた詩と今の詩が異なっており、その違い(=「あなた」の有無)が読者参加という点でひぐらしの大きな転換点になっていたことを指摘した。今回はそのもう一つの側面、つまり初期の詩に強く表れているホラーと「終末」について述べよう。


まずは初期版綿流し編の詩を見てもらいたい。
(綿編) 
****************************************
タマゴをじっと、温める。
温める熱が愛ならば、生まれる子供はきっと幸せ。
愛がこもって、喜びにあふれる。

タマゴをじっと、温める
温める熱が怒りなら、生まれる子供はいったい何?

私もタマゴを、温める
温める熱はガスだから、何のタマゴか興味なし。
*****************************************


一方現在の綿編の詩はどうだろうか?
(綿編:現行ver.)
*****************************************
あなたの渇きを癒せない
真実を欲するあなたがそれを認めないから

あなたの渇きを癒せない
あなたの期待する真実が存在しないから

それでもあなたの渇きを癒したい
あなたを砂漠に放り出したのは私なのだから
*****************************************


この二つを比較すると、前者は不気味さと「終末」、後者は「推理」という側面が特徴として出ているのがわかるだろう。さらに付け加えると、今となっては定番になった「惨劇に挑め」という文言は初期版綿流し編にはなく、次の祟殺し編から使われている(※)。これに「あなた」の有無(=読者参加のレベルの違い)という特徴、そしてひぐらし初期には解答編が構想されていなかったという作者の言、以下のように言えるのではないだろうか。

すなわち、答えは提示せずに謎・ホラーをプレイヤーに対してあくまで「投げかける」という初期の方向性(※2)から「主人公達と一緒に謎を考えていこう」という方向性への転換が、フレデリカの詩の特徴の違いに最もよく表れている、と。



そのかわり、「恐れるか、委ねるか、立ち向かうか、楽しみ方はあなた次第」という書き方をしている。次回画像を上げるのでそちらを参照のこと。

※2
私自身は見てないのでどこまで適切な例えかわからないが、解答を提示せずに考えさせる映画「ツインピークス」のようなテイストに近いと思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 黒眼鏡着用的小公女購入 | トップ | ひぐらし:「惨劇に挑め。」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひぐらし」カテゴリの最新記事