初めてmusketの単語を見た時、「ムスカ?」と誤読したムッカーですがみなさまいかがお過ごしでしょうか?さて、このまま丁寧語でいってもいいが、前回はあくまで片山杜秀調として採用した文体なので、今回はここにて通常運転に戻りますよと。
何回か書いてきた10/27の毒書会だが、そのブレイクタイムに友人が買ってきた復刻版の『世界史概観』を見せてもらうということがあった。暇つぶしにと思ったのか、友人がぱっと開いた百年戦争のページからクイズを出した際、太字になっているところを聞かれて長弓(ロングボウ)などを即答したのに驚いたようである(余談だが、今ではシャルル7世と表記される当時のフランス王がチャールズ7世になっていたところに時代を感じさせられた)。
その理由は、戦いや人名ではなく「長弓」という普通名詞をすぐに答えたところなんだろうが、もちろんこれは教科書の内容を覚えているのではなく、単なる予測に過ぎない。教科書レベルで取り上げられる百年戦争の項目はと言うと、以下のようなものが挙げられるだろう。同時期にペストが流行、農民の地位向上(cf.ヨーマン)などに伴う社会構造の変化に対して諸侯が行った封建反動、それに対するワット=タイラーの乱やジャックリーの乱の勃発、フランスでは大商人のジャック=クールが王朝と結び付いていわゆる絶対王政を支える構造になっていったこと(極めて大雑把に言うと、諸侯が没落して国王の廷臣化→そこから生まれた官僚・常備軍を市民階級から吸い上げた富で維持)etc...そして、この中で戦争において重要な意味を持ったという流れならば、長弓という答えになる(百年戦争期には火薬も騎兵などに対する威嚇用の武器として使用され始めたが、まだ銃火器は登場しておらず、教科書で取り上げられるまでには至らない)。
じゃあどうして長弓がそんなに大事なのか?一つは、イギリス軍が使用してフランス軍をクレシーやポワティエでの戦いで圧倒したこと、そしてもう一つは、長弓の登場が騎兵の相対的な地位低下につながったことである。詳細な軍事史を辿るのは私の手に余るので簡単に書くが、トゥール=ポワティエ間の戦いを契機に鐙(あぶみ)が伝わったヨーロッパでは、騎兵が普及していく。ちなみにクレフェルトの『補給戦』にも馬草の話がしばしば登場するように、馬は極めて金のかかる生き物なので、金持ちしか基本的に馬を養えない。そしてその金持ちを騎兵として戦争に協力させるために必要なのは、金に代わる実利、即ち土地であって、これが封建的主従関係の成立、即ち中世の成立にも深く関係している。こういうわけで(特に騎兵を持たない勢力にとっては)中世の主力となった騎兵にいかに対抗するかというのが、軍事では重要テーマの一つとなった。その一つがスイス傭兵で有名なパイク兵であり、あるいは金拍車の戦いのように地形を上手く活用したり、バノックバーンの戦い(正確にはその前)のようにゲリラ戦術を取って野戦を避ける、といったことが行われたりしていた。こういった中で登場したのが長弓である。
フランス軍が使用していた弩(クロスボウ)と違い長距離を飛ばすことができ、また何よりそこまでの費用がかからないため、金持ちでなくても弓兵になることができる。ゆえに農閑期の農民を集めて訓練し、弓兵にするという軍事改革がイングランド軍では百年戦争より前から進められていたのである(ちなみに騎兵は金がかかるだけでなく、何十キロにも及ぶ鎧をまとって馬を操りながら剣を振るわねばならず、その大変さは落馬した騎兵がぬかるみにはまったら自力で立ち上がれないこともしばしばであったことを述べれば十分だろう。一方、高校の部活などを連想してもらえればよいが、弓道部が的に当てられるようになるのに一年あれば十分である。もちろん、実戦では動くものを狙うためより高い練度が要求されるし、当時の弓兵は利き手ともう片方の手の筋肉の大きさが全く違ったというからその訓練も過酷ではあったろうが、それでも騎兵と比べれば負担はだいぶ軽い、という話である)
無論、弓兵の登場によって騎兵がお払い箱になったわけでは全くなく、たとえばイングランド軍は弓兵と下馬騎兵の連携で戦っていたのではあるが、それでも騎兵ないしはそれを構成する諸侯という存在の交換可能性を示した点で、長弓の戦術的活用は諸侯の地位を相対的に低下させる社会的意味を有していたと言っていいだろう。そしてこれを決定づけたのが、軍事革命とも呼ばれる銃火器の登場なわけである(冒頭の動画参照)。こうして多少の訓練で誰でも扱える銃が普及してくると、諸侯の地位はますます低下し、傭兵がそれに取って代わっていくのであった(その代表である三十年戦争についてはこの記事の後半を参照)。
とまあそんな感じである。まあかなーり単純化して書いているので、興味がある人は本を読むなりそれ系の動画見るなりしてくださいな。ただ、こういう歴史に影響を与えた技術というのは様々あって、同時代のヨーロッパで言えば活版印刷が挙げられるだろう。これが16世紀の宗教改革とその広がりに大きな役割を果たし、また以前より安価になった出版物とその普及が「国語」の広がりにもつながっている(この点はアンダーソンの「想像の共同体」を連想すれば十分だが、宗教改革の広がりと国民意識の関りは、たとえば1817年に宗教改革300周年記念でのブルシェンシャフト運動高揚が象徴的だ。詳しくは、毒書会で読む候補にも入っていた『グーテンベルクの銀河系』などを参照)。
今回はこの辺で。
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