君が望む永遠:Superficial Cynicism

2010-01-05 18:24:36 | 君が望む永遠
「虚構への埋没・感情への埋没」に引き続く草稿第二弾。後半より文体が変化してくるのは、大元の草稿から逸脱したことが原因。

なお、「あ~はいはい」で始まる段は単に挑発的な内容にすぎず、相手を説得するという戦略的な見地からすればまことに稚拙なものと言わざるをえない(これを見て他人をネタにする材料にする人はいても、自らの思考様式を改めて吟味しようとする人はいるまい)。

とはいえ、「不粋」「野暮」といった物言い(観念)が、枠組みや「空気」の温存に手を貸しているという部分については、もう少し掘り下げて考えてみる必要があるだろう(そのような言辞は、実際には何も理解できていない人間が、自分は理解していると錯覚させ、「わかってやっているんだから水を差すな」と自己正当化することを可能にする。ところで、「わかっている」というのは何をどのように「わかっている」んだろうか?)。


【君が望む永遠】
え~、ちなみにコレ2稿目です。草稿を準備していたのに一文目から無視したのがきっかけで暴走し、君望だけで2000字(しかも書きかけ)wというわけで草稿どおりにやります。君望のレビューというのは、最初の「涼宮家の人々」など例外はあれど、君望レビューに共通してみられる貧しい言葉の垂れ流し(浅薄な理解)に対しての批判という性質を帯びている。これがどのような経過を辿ったかは別の機会に述べるが、大きな収穫としてエロゲーのプレイヤーたちが「戯れ」どころか見事に「埋没」しているのを実感することができた(断わっておくが、これは「現実と虚構の区別がつかない」というのとは全く違う話である。強いて言うなら、「虚構へのコミットメントの深さ」とでもいうべきか)。


ところで、もしかすると私がシニカルさを批判した記事をもって、「シニカルになるな」とか「真正面から向き合え」といった主張を私がしているのだと捉えている読者がいるかもしれない。これはひとえに私の表現力のなさが原因だが、私はシニカルさを批判しているのではなく、ネタ化してひたすら虚構と戯れているようなエロゲープレイヤーなどが「全くシニカルではない」という話をしているのだ。そしてそこから彼らが「自分はわかってやっているんだ」という幻想から抜け出すと同時に、他者は「彼らはわかってやっているんだ」と騙されるべきではないし、またお墨付きを与えるべきでもないと主張しているのである(だから、虚淵玄の発言をナイーブだと批判したりするわけ=「市場分析の欠落と誤読」。まあエロゲープレイヤーを持ち上げてファンを作るという狙いならまだ理解できるが、インタビューの内容的にそのような戦略性も欠落している)。


これこそ、「鳴海孝之への反感とキャラへの埋没」、「客体化という名の錯誤」、「シニカル幻想」(後半は沙耶の唄ネタばれ)といった記事で述べようとしたことに他ならない。ちなみに私自身はシニカルさを全く否定しておらず、むしろ一度徹底的にシニカルになった方がいいとさえ考えているくらいだ。どうも「シニカルになっているフリ」を見ていると、要は自分の願望や欲望が満たされないから「どうせ…だし」てな具合に斜に構えてるだけなんじゃねーの?と思えてしまうのよね(願望の相対化)。そしてそれにもかかわらず、わかったフリだけしているから、根源にある願望や欲望が実は温存されたままになる。そこでは、「どうせ…」という諦めの根源となる希望は何なのか?そしてそれは妥当なものなのか?という枠組みへの問いかけは、むしろ慎重に回避される(そこに触れるのは土足で踏み込むような「無粋」・「野暮」な行為というわけだ)。こうして、批判する側が「悪」とされる構造により批判が周到に無害化された結果、上辺だけのシニカルさが横行し、「脆弱な私」は無菌室で保管されるという寸法だ。んで、「わかっている」と言ってるうちに「ネタ→ベタ」という濁流(=お決まりのパターン)に呑まれて終わり…(ここで「オタクは保守的」という言説を連想するのも有益だろう。別の言い方をすれば、そのような在り方ゆえに「保守的でいられる」のである)。


普段は突っ込みや内容の分析を余裕しゃくしゃくで行っている斜に構えた人たちが、(物理的ではないのに)ちょっと力の加わる方向性が変わると途端に感情的な言葉「しか」垂れ流せなくなる現象を見て、「ああ、この人たちのシニカルさや『戯れ』って結局その程度なんだな」と驚きとも呆れともつかぬ感情を覚えた。


だから、本当に変化を望むのなら枠組みのレベルから考えるしかないわけよ。もっとも、それって自分が崩壊するような感覚を覚える人もいるだろうから、怖くてできなかったりそこまでしたくないっていう人も多いだろう。その反応自体を否定しようとは思わない。私に「廃人になれ」とか「死ね」って言う権利は当然ないからね☆でも、それだったら格好つけずに言やあいいのに。「私は自分の願望が満たされず、でもそのことに向き合いたくもないし考える力も余裕もないのでとりあえず斜に構えて受け流すしかないんです」ってね。


あ~はいはいわかってますよ。そんな痛々しい自己認識で生きられるわけねーじゃんってんでしょwだから「わかってやってる」っていう仮構が必要なんだって。ま、それをわかっててこういう記事を書く俺も相当意地が悪いわけですがw斜に構えていること自体が自己温存のための振舞いで、それは気付かぬうちに必死のものとなっていくことがある、なーんて真剣に考えたことのない人には一ミリも届くとは思っていない(それもまたシニカルさではないのかね?)。そういう人に限って他人に適用するのは得意だったりするので、他者認識には影響を与えられるかもしれない(ちなみに、その際他者をネタにすると推測されるが、ネタにする行為についてもまた別の角度で論じる予定)。


まあとりあえず、そういう人たちの振舞いを特権化するかのような物言いは止めたほうがいいだろう。


それにしても、結局自分の感情のみを垂れ流し、それに基づいて短絡的に目の前の問題を解決しようとし、より上位にある枠組み自体の吟味は全くと言っていいほどしない。あな、これ「日本的」なりや、と。

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