熱帯アフリカ原産のオクナ科という種だそうです。かわいい花で黄色の雄しべが目立ちます。雌しべは1本で中央に飛び出ているのが分かります。花弁は無いようで黄色の花弁様のものはがくということになります。5枚あります。結構表面には光沢がありますね。
変わった実です。オクナ科の種はこういう実ができるんでしょうか。何が変わっているかというと、雌しべが1本なのにふくらみが数個できるのです。色のことを無視してみていると、果実がつく花卓もふくらんで、さらにぼこぼこと新たなふくらみになっている・・・。一般的な理解では、雌しべの根元が膨らみ、ここが種子を包む子房ということになるのですが、セルラタは子房は子房でしょうが、形がおかしい・・・。「花卓の部分」と「種子を包む部分」が合わさって一つの子房と理解しないと説明が付かない・・・。花卓は赤い部分(がくをのぞく)ですが、みどりの部分が「子房」で、少なくとも子房はいくつかに分離して形成されるようです。
オクナセルラタといっても分からなくても、ミッキーマウスの木というと知っておられる方が多いと思います。赤いがく片に黒い実がミッキーマウスの顔を連想するということから付けられたようですが、見た目も面白い種ですが作りがとても変わっている木なのですね。雌しべは実が黒く熟してもまだ残っています。
カタクリ(ユリ科)は、春の花の代表と言ってもいいかもしれません。 越後の里山ならごく普通に見られる可憐な花です。近年「スプリングエフェメラル(春のはかない命)」という言葉で早春の花を愛でるようになっています。また、「春の妖精」と呼んでも良いほどに多くの人がこの花によって感動をもらい、春の訪れをよろこび迎えたことでしょう。
雪を割って出てきたカタクリです。
カタクリの生態はなかなか面白く、受粉して結実し地に落ちて発芽しますが、それから花が咲くまで8年かかるといわれています。その間、地表で発芽した個体の球根はどんどん地面の下30センチくらいまで潜っていきます。そして、本葉を2枚つけるとその個体は開花株になるのです。(葉が1枚の個体は花をつけることはありません。)
カタクリの球根を掘ろうとすると、それは大変な作業で途中で投げ出すことになってしまうかもしれません。昔の人はこの作業をして、片栗粉を作ったかと思うと感心させられます。
何故こんなに深いところまで潜っていくのか考えたとき、それはネズミから逃れるためだと気づきます。生き延びたカタクリの球根はその後長い間開生き続け、20年・30年も花をつけるとも言われています。
カタクリの生態はなかなか面白く、受粉して結実し地に落ちて発芽しますが、それから花が咲くまで8年かかるといわれています。その間、地表で発芽した個体の球根はどんどん地面の下30センチくらいまで潜っていきます。そして、本葉を2枚つけるとその個体は開花株になるのです。(葉が1枚の個体は花をつけることはありません。)
カタクリの球根を掘ろうとすると、それは大変な作業で途中で投げ出すことになってしまうかもしれません。昔の人はこの作業をして、片栗粉を作ったかと思うと感心させられます。
何故こんなに深いところまで潜っていくのか考えたとき、それはネズミから逃れるためだと気づきます。生き延びたカタクリの球根はその後長い間開生き続け、20年・30年も花をつけるとも言われています。
地元では、カタクリを「カタコ」と呼び、女性に見立て「女カタコ」と呼んでいます。そして、キクザキイチゲを男性に見立て「男カタコ」と呼び、仲むつまじく並んで咲く二つの春の花を夫婦円満を映しこんで愛しんでいたのでしょう。素敵な話です。
カタクリの変わり花は結構話題に上がります。その筆頭は白いカタクリです。純白のものから薄く桃色かかっているものや、白地に薄紫の模様が出るものがあります。その他には緑色の花を見つけたことや、知人が登山先でみつけた青色の花がありました。外国の種には、赤色や黄色があるそうですが、本来、在来種は赤紫です。
カタクリの群落を紹介すると「植えたものですか?」という質問が多くあります。自然の造形だと知ると目の前の群落の素晴らしさが、さらなる驚きになって強い感動を与えるようでです。昔ながらの里山の暮らしがあってこそカタクリが育ち増え続けます。コナラの雑木林を20年ほどのサイクルで伐採して炭や薪にし、さらに毎年低木などの柴刈りや枝を拾い焚き木に使う。などの山管理をする。それがあたりまえの時代にはどこでも見られた自然風景でした。
今ある大きなカタクリの群落は森の放置によって危機状態になっています。昔ながらの里山のあり方が継続されてこそ、美しいカタクリの群落が見られるのです。
里山の保全のためにも市民が森林や緑の中に入り、自然を感じ取る感性を生みだし、森林整備をはじめ環境教育などの推進を図ることが日本の里山に必要なのではないかと考えるのです。
里山の保全のためにも市民が森林や緑の中に入り、自然を感じ取る感性を生みだし、森林整備をはじめ環境教育などの推進を図ることが日本の里山に必要なのではないかと考えるのです。