岐阜の根尾谷を訪れた。かっての濃尾大地震の震源地としても知られるが、ここには日本三大桜と評される「淡墨桜」があるところでも有名である。千数百年の歴史を刻むといわれるこの桜、ヒガンザクラ(エドヒガンの園芸種とされる)の古木である。その歴史は近年に入って雪によって一の枝が折れたり枯死寸前までいった危機があったという。若い根継ぎをして生き返らせた前田利行翁の努力とか、作家宇野千代の保護の運動などがあり、何よりも根尾谷の人々の献身的な保護活動が実を結び今にして人々を魅了する姿をとどめている。
その幹は深い皺を刻んであたかも妖怪のようであり「神」的な雰囲気を漂わせてさえいる。多くの人を魅了するのは、長寿であるが故の異次元の世界に通ずる「神」的な雰囲気に惹かれてなのかもしれない。
花はあくまでも可憐なヒガンザクラであるが、散り際にはうすく墨色になって散っていくという。残念ながらその姿を目にすることは出来なかったが、いつかまた訪れて墨色に散るこの妖怪の真の姿を目撃したいものである。
その幹は深い皺を刻んであたかも妖怪のようであり「神」的な雰囲気を漂わせてさえいる。多くの人を魅了するのは、長寿であるが故の異次元の世界に通ずる「神」的な雰囲気に惹かれてなのかもしれない。
花はあくまでも可憐なヒガンザクラであるが、散り際にはうすく墨色になって散っていくという。残念ながらその姿を目にすることは出来なかったが、いつかまた訪れて墨色に散るこの妖怪の真の姿を目撃したいものである。
香りの良いジンチョウゲの仲間で花の形を見れば同科と判るが、臭いはほとんどしない。和紙の原料として有名で西日本には野生状態になっているところがあるから在来種と思っていたが、中国原産で移入されたものであるという。古くから各地で栽培されてきたのであろう。
名前の通り三つに枝が分かれて特徴的な姿になる。落葉性だから春早く葉の出る前に優しい黄色の花が束になって咲く。これもまた捨てがたい風情をかもし出す花だと思う。一株庭の片隅にでもあってもいいと思っていたがそんな機会が巡ってきた。
昨年、知人が職場に生け花用に持ってきたものを一枝貰い挿し木を試みた。かなり雑に処理したせいか30%くらいの活着率でそれほど増やし易いものとは思わなかった。まだ鉢の中での栽培だが、庭に下ろして大きく育ててやろうと考えている。存在感が出てくるまでしばらく時間が必要だ。
名前の通り三つに枝が分かれて特徴的な姿になる。落葉性だから春早く葉の出る前に優しい黄色の花が束になって咲く。これもまた捨てがたい風情をかもし出す花だと思う。一株庭の片隅にでもあってもいいと思っていたがそんな機会が巡ってきた。
昨年、知人が職場に生け花用に持ってきたものを一枝貰い挿し木を試みた。かなり雑に処理したせいか30%くらいの活着率でそれほど増やし易いものとは思わなかった。まだ鉢の中での栽培だが、庭に下ろして大きく育ててやろうと考えている。存在感が出てくるまでしばらく時間が必要だ。
越後でも良く見かける春告げ花。キブシをキフジともいう向きもあるが、実を昔お歯黒に使った染料の五倍子(ぶし)の代用にしたということから木五倍子(きぶし)となったとする方が正しいようだ。越後の種は太平洋側に生育するキブシより毛の多い種だから「ケキブシ」となる。
花の姿からフジに見たてても違和感は無いが、フジそのものが木なのだから、「木(キ)フジ」ではなく「黄(キ)フジ」であろうか。
我が家から見える前の山の残雪も少なくなってきた。もう直ぐ、山遊びのシーズンに入るかと思うと気もそぞろである。ちなみに旧長岡市の最高峰である鋸山の西斜面に出る「逆さ川」の雪形がでると農耕の始まりといういわれがある。ようやくそんな雪形の時期になった。
花の姿からフジに見たてても違和感は無いが、フジそのものが木なのだから、「木(キ)フジ」ではなく「黄(キ)フジ」であろうか。
我が家から見える前の山の残雪も少なくなってきた。もう直ぐ、山遊びのシーズンに入るかと思うと気もそぞろである。ちなみに旧長岡市の最高峰である鋸山の西斜面に出る「逆さ川」の雪形がでると農耕の始まりといういわれがある。ようやくそんな雪形の時期になった。
オウレンは早春の花。バイカオウレン(ゴカヨウオウレン)は深山の花。鉢に植え込んで栽培したら、近くの鉢にも種を飛ばし生育しているから、我が家では最も早い花の一つである。近縁種にミツバノバイカオウレンがあるが、こちらは葉が3つに分かれるが、バイカオウレン(ゴカヨウオウレン)は葉が5つに分かれる。「バイカ」(梅花)と付くにはやや花びらが細いから、この種は変種のオオゴカヨウオウレンのほうになる。
この花の魅力はきりりとした白さだろう。可憐な小さな花だが、その造詣の美しさには一目置く。黄色い葯はスプーン上に内側がへこみ、雌しべは十数本出ているが、その基部は金平糖状に塊にになっている。キツネノボタンの実を思い出していただくと納得がいくだろうが、この塊がキンポウゲ科の特徴でもあるから覚えておくといいだろう。
この花の魅力はきりりとした白さだろう。可憐な小さな花だが、その造詣の美しさには一目置く。黄色い葯はスプーン上に内側がへこみ、雌しべは十数本出ているが、その基部は金平糖状に塊にになっている。キツネノボタンの実を思い出していただくと納得がいくだろうが、この塊がキンポウゲ科の特徴でもあるから覚えておくといいだろう。
ヒョウタンボクという種がある。別名キンギンボク。花が初め白色で後に黄色に変わるためについた名で、ヒョウタンボクはその後の赤い実が2個ちょうど瓢箪のような形につくからついた名である。
アラゲヒョウタンボクはキンギンボクに比べ日陰を好み全体にまばらな分岐をし弱々しい感じがする潅木である。花もうつむいて2個並んで咲き色彩は地味だ。春の早いうちにまだ他の木々が展葉しないうちに雑木林の林床でひっそりと咲いている。里山の森にあっては完全な脇役という感じである。
ところでキンギンカ(金銀花)という種があるが、キンギンボク(金銀木)と混同しやすいが全くの別種である。いずれもスイカズラ科の植物ではあるが、キンギンカはスイカズラの別名で実は黒く熟すのにたいして、キンギンボク(ヒョウタンボク)は赤く熟す。いずれもこの種の実は美味しそうに見えるけれど有毒といわれるから口にしてはいけない。しかし、「スイカズラ」の語源は花を取って「吸う」と甘い蜜が得られるからという。
アラゲヒョウタンボクはキンギンボクに比べ日陰を好み全体にまばらな分岐をし弱々しい感じがする潅木である。花もうつむいて2個並んで咲き色彩は地味だ。春の早いうちにまだ他の木々が展葉しないうちに雑木林の林床でひっそりと咲いている。里山の森にあっては完全な脇役という感じである。
ところでキンギンカ(金銀花)という種があるが、キンギンボク(金銀木)と混同しやすいが全くの別種である。いずれもスイカズラ科の植物ではあるが、キンギンカはスイカズラの別名で実は黒く熟すのにたいして、キンギンボク(ヒョウタンボク)は赤く熟す。いずれもこの種の実は美味しそうに見えるけれど有毒といわれるから口にしてはいけない。しかし、「スイカズラ」の語源は花を取って「吸う」と甘い蜜が得られるからという。
偕楽園での掘り出し物は他にもあって、このトサミズキもそのうちの一つである。春先には家庭の庭先にも良く見かけるし、我が家でも少し遅まきながらようやく開花するところである。珍しくも無いトサミズキだが偕楽園で見かけたこの株は根際がものすごい。立木にはならない性質で、根際から株立ち状態で小枝を出すが、ここを管理していた人たちが邪魔な小枝を繰り返し剪定し、あるいは少し古くなった枝を若枝に更新しするために切り戻してきたのであろう。こんもりとした茎とも根ともつかぬふくらみが偉容である。人為の結果であろうが長い歴史を感ずる存在だ。
トサミズキはマンサクと同じ仲間で、早春の植物である。越後には野生は無いが、マンサク(マルバマンサク)は極普通に存在する。しかし、まだマンサクの花を今年は見ていない。もうそろそろテリトリーの点検にでも出かけてみようかと思っている。
トサミズキはマンサクと同じ仲間で、早春の植物である。越後には野生は無いが、マンサク(マルバマンサク)は極普通に存在する。しかし、まだマンサクの花を今年は見ていない。もうそろそろテリトリーの点検にでも出かけてみようかと思っている。
「梅には少し遅いかな」と気にかけながら水戸の偕楽園を訪れた。綺麗な青空を背景にとはいかなかったが、偕楽園の梅の競演には十分間に合った。色とりどりの品種とその香りとに包まれ豊かな時間を過ごした。
一角にある好文亭の前庭に見事な紅梅が咲いていると思いながら近づくとそれはカンヒザクラ(あるいはヒカンザクラ)であった。水戸近郊でももうサクラが咲き始めていたのだから、少し早咲きのカンヒザクラ(寒緋桜と書く)ならウメと同じに咲き出してもおかしくは無い。なかなかの大木で緋色の花が優美でしかもどこか落ち着きのある雰囲気がいい。
沖縄辺りが原産で南国のサクラである。越後の庭園に植え込まれたものを時々見かけるが、いい状態のものを見ない。少し無理があるのだろう。その種が持つ特性を理解し、あった環境で育ててあげたいものだ。
一角にある好文亭の前庭に見事な紅梅が咲いていると思いながら近づくとそれはカンヒザクラ(あるいはヒカンザクラ)であった。水戸近郊でももうサクラが咲き始めていたのだから、少し早咲きのカンヒザクラ(寒緋桜と書く)ならウメと同じに咲き出してもおかしくは無い。なかなかの大木で緋色の花が優美でしかもどこか落ち着きのある雰囲気がいい。
沖縄辺りが原産で南国のサクラである。越後の庭園に植え込まれたものを時々見かけるが、いい状態のものを見ない。少し無理があるのだろう。その種が持つ特性を理解し、あった環境で育ててあげたいものだ。
袋田の滝でのもう一つの話題がイワヒバ。各地の断崖にしばしば着生しているのを見かけるが、ここも居心地が良いのか大量に着生している。滝を包み込むように断崖という断崖にイワヒバの群落である。滝もなかなかのものだが、イワヒバ群落もなかなかのものである。
古来から日本人に好まれ鉢植えにされて鑑賞されて、多くの品種が作出されていてかなりの高値で売買されているものもあるようだが、泥臭い野生の力強さを鑑賞するほうが私にとっては価値があるように思う。
シダ植物でその中にあっても比較的原始的な種で、岩場を好んで生育し乾燥にも寒さにも強い性質がある。乾燥すると葉を内側に巻き込んで耐えている。他の植物が生育できないような場所に生活の場を求めているところをみると、他者との競争を好まないいたって温和な平和主義者なのだろうか。
古来から日本人に好まれ鉢植えにされて鑑賞されて、多くの品種が作出されていてかなりの高値で売買されているものもあるようだが、泥臭い野生の力強さを鑑賞するほうが私にとっては価値があるように思う。
シダ植物でその中にあっても比較的原始的な種で、岩場を好んで生育し乾燥にも寒さにも強い性質がある。乾燥すると葉を内側に巻き込んで耐えている。他の植物が生育できないような場所に生活の場を求めているところをみると、他者との競争を好まないいたって温和な平和主義者なのだろうか。
思いがけないいきさつから、茨城県の袋田の滝に立ち寄った。以前から思い描いていたところだから、感慨ひとしおで、早春のこととて水量の多い見事な滝に時の経つのも忘れる想いで至福の時間を過ごすことが出来た。
帰りがけの散策道の脇にユリワサビの花が可愛らしい姿で咲いてるのに出会った。これも思いがけない出会いであった。アブラナ科特有な十文字の花形と葉を食べてみればワサビの刺激があるから間違いなくワサビと同属なのだが、湿気の多い樹林下に多く、全体に華奢で地に伏すように茎が伸びた姿から、一目見ただけではそれと気がつくことはないかもしれない。
越後のちょっとした沢にはワサビが結構群生している。しばしば採集し山菜として頂いている。しかし、私は越後でユリワサビと出会ったことが無い。どこかにありそうなのだが、今まで会えていないところをみると、このユリワサビは雪国が苦手なのかもしれない。
帰りがけの散策道の脇にユリワサビの花が可愛らしい姿で咲いてるのに出会った。これも思いがけない出会いであった。アブラナ科特有な十文字の花形と葉を食べてみればワサビの刺激があるから間違いなくワサビと同属なのだが、湿気の多い樹林下に多く、全体に華奢で地に伏すように茎が伸びた姿から、一目見ただけではそれと気がつくことはないかもしれない。
越後のちょっとした沢にはワサビが結構群生している。しばしば採集し山菜として頂いている。しかし、私は越後でユリワサビと出会ったことが無い。どこかにありそうなのだが、今まで会えていないところをみると、このユリワサビは雪国が苦手なのかもしれない。
苗を求めて今年で3年目。ようやく花らしい花を付けてくれたクリスマスローズ。名前と時期が不釣合いだが、この花を越後で普通に見るのはこの時期ではないだろうか。中東辺りが原産と聞くが、多種多様な花の色があってその変異はなかなかである。華美な色彩ではないが、少しくすんだ感じがいい。少し黒百合を連想させる色彩で、購入してしまった。庭に地植えして新しい雰囲気を作ってみようかと考えている。
庭の雪も消え、春の庭仕事が忙しくなってきた。冬囲いを外し片隅に押し込められていた鉢類を日当たりの良い場所に移す作業をするなかで、オウレンの変異株が今年も花をつけていたので紹介したい。(右は本来のオウレン)
セリバオウレンというのが正式なのだが、越後の西山丘陵でかなり前に見つけ栽培している。花弁の色が白色でなく雌しべと同色で雄しべが見当たらない変異株である。株そのものは年々大きくなって入るが、種子が飛散して庭にその性質を持った株は生えていないから、あるいは完全な種子が出来ないのかもしれない。
自然の中では突然変異したものにたまに遭遇する。種の進化に重要な働きをする突然変異という現象をこんなところで感じている。変異を受け継いだ子孫が出来るのか出来ないのか、その変異がその環境に受け入れられるのかられないのか・・・。生物の不思議は尽きることが無い。
セリバオウレンというのが正式なのだが、越後の西山丘陵でかなり前に見つけ栽培している。花弁の色が白色でなく雌しべと同色で雄しべが見当たらない変異株である。株そのものは年々大きくなって入るが、種子が飛散して庭にその性質を持った株は生えていないから、あるいは完全な種子が出来ないのかもしれない。
自然の中では突然変異したものにたまに遭遇する。種の進化に重要な働きをする突然変異という現象をこんなところで感じている。変異を受け継いだ子孫が出来るのか出来ないのか、その変異がその環境に受け入れられるのかられないのか・・・。生物の不思議は尽きることが無い。
1月25日に新潟の公園で見かけたハマヒサカキを取り上げたが、今日は鎌倉のお寺でヒサカキに会ったのでこれを紹介しよう。ヒサカキは越後の海岸丘陵には極当たり前に生育しているから、てっきり日本海側の植物という思い込みをしていたから、意外な感じがあった。
ヒサカキは臭いが独特のものがあるから、所在が判らなくても近くに生えていることが直ぐわかる。個人的には好きな臭いではないが神事に使われるくらいだから、それなりの評価があるのかもしれない。神事に使う本来のサカキは「榊」と書き、まさに「神の木」なのだが、こちらは嫌な臭いはしない。ヒサカキは「姫榊」からきた名前とされるが、サカキに比べ葉や花が小型であるからだろう。
越後当たりではサカキが自生していないからヒサカキを代用にすると考えていたのだが、鎌倉辺りでお寺の境内にたくさん植えられているのには少し驚いている。この辺りもサカキが自然には分布していないのかも知れない。
もっとも、神仏混合の日本でも、仏にはシキミ、神にはサカキとされているのだからお寺の境内にヒサカキがあったからといって、神事にヒサカキを使うことにはならないだろう。調べてはいないが、神社にはサカキの樹が植わっているのではないだろうか。
ヒサカキは臭いが独特のものがあるから、所在が判らなくても近くに生えていることが直ぐわかる。個人的には好きな臭いではないが神事に使われるくらいだから、それなりの評価があるのかもしれない。神事に使う本来のサカキは「榊」と書き、まさに「神の木」なのだが、こちらは嫌な臭いはしない。ヒサカキは「姫榊」からきた名前とされるが、サカキに比べ葉や花が小型であるからだろう。
越後当たりではサカキが自生していないからヒサカキを代用にすると考えていたのだが、鎌倉辺りでお寺の境内にたくさん植えられているのには少し驚いている。この辺りもサカキが自然には分布していないのかも知れない。
もっとも、神仏混合の日本でも、仏にはシキミ、神にはサカキとされているのだからお寺の境内にヒサカキがあったからといって、神事にヒサカキを使うことにはならないだろう。調べてはいないが、神社にはサカキの樹が植わっているのではないだろうか。