山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

鉱山の負の遺産が知らされていない!

2016-11-21 19:47:18 | 旅行・散策
 昨日の森林散策会は、仲間の楠さんの事前準備の見事さと共に、道の駅もどきの「ドラゴンママ」さんの地域おこしの情熱が伝わった。
 「ドラゴンママ」に並ぶ商品はすべて地元産にこだわった開発商品だ。
 お昼に食べた500円のお弁当は、味の旨さはもちろん地元産の豊富な食材で作られているうえに、見た目にも豪華だった。
 食べるのに夢中で画像が撮れなかったのが悔やまれる。

     
                                  
 山奥で見た神社の杉の木は上から下まで溝があった。
 案内役の相佐さんによれば、雷が落ちたときの印しだという。
 また、見上げた杉・ヒノキの皮が一部剥がれているのは、ムササビが来た痕跡だという。
 
                           
 廃校跡地だった公園では、地元自治会長が鉱山物のかけらを用意してくれた。
 近くに「峰の沢鉱山」があり、1956年(昭和31年)往年は1000人を越える鉱山関係者が住んでいたという。
 戦前は中国人や朝鮮人を強制連行・強制労働で銅を産出していた。
 しかしそれを語る人はなかなかいない。

        
 中国人労働者の三分の一が栄養失調で死亡したり、朝鮮人が半分近く逃亡したり、サボタージュをしたり、争議もあったという。
 日本の中枢産業を支えた鉱山の栄枯盛衰の歴史を懐かしむのは良いとしても、日本の植民地支配の負の遺産に目をつぶってはならない。
 黄銅鉱石の輝きを見ながら、鶴見俊輔の「忘れないこと」の意味を思いだす。       
          
 
コメント
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