前々から江戸時代に行われた「朝鮮通信使」に関心があった。その講演会にも参加した。それは大河ドラマに取り上げても遜色ない両国の思惑の格闘と信頼形成のドラマだ。
秀吉が朝鮮侵略をして皆殺しと殺戮のジェノサイドをした15年後、朝鮮から500人規模で使節団の来日があった。それ以降、12回にわたって通信使がやってきて将軍や文化人らとの交流が進行していった。仲尾宏『朝鮮通信使』(岩波新書、2007.9)の記述が事実に忠実公平であろうと努力している。
朝鮮人の怨恨を踏まえた対馬藩の立役者・雨森芳州の「誠信」さが両国の思惑や矛盾を超えている。
朝鮮との慰安婦・核保有問題で険悪になっている日本外交の基本は、この雨森芳州の「誠信」精神から学ぶものが多い。「互いに欺かず、争わず、真実を以て交わり候を、誠信とは申し候」という「多文化共生」論だ。
それを金で解決しようとしたり口先だけの謝罪ではみえみえなのだ。秀吉の残虐な侵攻といい、戦前の朝鮮の植民地化といい、日本人の加害者意識がいまだ希薄なのは間違いない。
今問題になっている「拉致」問題の本質は、秀吉や日本帝国の朝鮮人強制連行の日本による「拉致」事実の反省から始めなければ解決はない。
朝鮮通信使をそれぞれの地域で迎えるために数千人が動員され、沿道には民衆がひしめき合っていたという。だから、その地域へのの波及効果は少なくなく、文化人や学者の交流も旺盛に繰り広げられた。この民間レベルでの交流に意味がある。
作者も「近年は再び朝鮮や中国に対する誤解と偏見、そして日本と日本文化優越意識が権力とその情報操作によってはびこりはじめている」と警鐘を鳴らす。そんななか、この「朝鮮通信使」に見られる両国の努力・葛藤から汲むものが少なくない。