日本の文化の基底とも思われる「茶道」が、乱世の戦国時代から江戸へと隆盛を極めた。しかも、大茶人と言われた山上宗二・千利休・高山右近・古田織部は斬首されたり流罪にされたりしてきた。そうした中で、茶道は現代に息づいている。波瀾万丈の歴史を持つ茶道はなぜ生き残れたのか、それを探る茶人シリーズの最後は、小堀遠州を描いた葉室麟の小説『孤篷のひと』(kadokawa文庫、2019.8)を読む。
利休・織部の命がけの茶道を踏まえた遠州は、安定しつつある徳川幕府の高級官僚として天下泰平の調和の茶道を確立したと言えるだろう。遠州は、当代を代表する茶道の一人者であるばかりではなく、建築・作庭にも「いい仕事」を残している。もう少し作庭の特徴も表現して欲しかったが、身分の低い「山水」の協力なしには庭づくりはできなかったことを著者は見逃さない。遠州の茶道は大名茶道でもあったが、そうした庶民を登場させた仕事をしているところは「和の心」を大切にした遠州らしい生き方が出ている。
遠州の「綺麗さび」について、「解説」の東えりか氏は「余分なものを徹底的に削ぎ落した暗い茶室で、黒い楽茶碗を用いることで、客人と深く濃い交わりを求めた利休、大きく歪んだ茶碗で自身の感性を表現しようとした織部。一方、遠州は、均整の取れた白い茶碗を好み、茶室は、窓が多く、柔らかに光が届く明るい空間だった」と的確な分析をしている。遠州の作陶からも、安定した時代らしい端正で均衡のとれた遠州好みが発揮されている。(画像は、遠州流茶道宗家公式サイトから)
遠州の生き方について、著者は、「ひとがこの世にて何をなすべきかと問われれば、まず、生きることだとお答えいたします。茶を点てた相手に、生きておのれのなすべきことを全うしてもらいたいと願い、それがかなうのであれば、わたしも生きてあることを喜ぶことができる」と表現している。そこに、権謀術数にたけた武人や商人を調和させ、真っ当な生き方を気付かせていくという遠州の茶の心が読み取れる。
山上宗二・利休・右近・織部らの小説を中心に茶人の生きざまをたどってきたが、そのドラマチックな生涯から見ると、遠州のそれは物足りないものがある。それは安定した時代の役人の宿命・バランス感覚でもある。
また、葉室麟の表現には端正な世界が貫かれている。段落や章の最後の短い言葉には余韻があってそれが主人公の心の風景を醸し出しているのに成功している。それらを拾ってみると、「御所の庇の下をひらりと燕が飛んだ」「初秋の風が庭を吹き抜けていた」「三成の孤独な背中がふたたび思い出された」などに散見できた。
総合芸術でもある茶道は命がけで貫徹された精神の歴史でもあった。しかし、現代では茶道は大衆化したものの、その精神は風化し、型だけが残ってしまった現状にある。その意味でもう一度、戦乱のさなかに育まれた茶の心を振り返るべきだ。それは、日本学術会議の誕生した精神を見つめる作業と似ている。