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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

カモシカが裏山にご来臨

2020-10-21 21:10:51 | できごと・事件

 午前の農作業を終えたお昼に縁側にいたところ、目の前の裏山にひょいと「ニホンカモシカ」がご来臨になった。一瞬、イノシシが通り過ぎようとしたかに見えた。好奇心の強いカモシカの目と目が合った。慌てて近くにあったカメラのシャッターを切る。ニホンカモシカは、英語名は「Japanese serow」という日本固有種でもあり特別天然記念物に指定されている。

  

  氷河期からの生き残りと言われるニホンカモシカは、基本は単独行動かつがいかだ。4頭以上の群は作らないところは、群れで行動するシカとは違う。また、体毛も、雪が多い地域では白い毛が多いが、雪がたまにしか降らない地域では、茶色・灰色・黒色が多く、保護色となっている。7~8mくらいの近さだった。カモシカの目撃は2年に1回くらいしかない。

  

 そのうちすぐに、興味がなくなったようですたすたと山の上のほうに移動していった。最近は熊の出没で人間が襲われるニュースが頻繁だが、カモシカは人間を襲うことはない。食べ物も、牛の仲間だから草木の葉・芽・樹皮などの草食だ。平和的な穏やかさが心を癒してくれる。バイバイと手を振ってみたが振り向いてはくれなかった。一瞬の出来事だったのは残念だが、余韻が午後の農作業を支えてくれた。 

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ほだ木からモコモコが

2020-10-20 21:31:22 | 食彩・山菜・きのこ

 シイタケの周りを草刈りしてほだ木にした太い切り株の様子を見てみた。すると、シイタケではなく得体の知らぬキノコがモコモコ状に出ていた。このグロテスクなキノコは何者なのか調べてみたがわからない。特定できそうになるが図鑑によってまちまちなのが気になる。そのうちに、「ホオズキタケ」(クロサイワイタケ科)か、「ヒラフスベ」(サルノコシカケ科)かどちらかのように思えた。

                 

 オニフスベは以前キウイの棚下に発生して食べたことがある。「ヒラフスベ」は食べられないと図鑑には出ていた。しかし、これを天ぷらで食べた人がいてきわめて美味だったという。さてさて、同定は混乱する。しばらく様子を見てからにしよう。

 キノコ図鑑はまだまだ発展途上にあり、現物と写真との乖離がありすぎる。仔細に写真を載せたら広辞苑くらいの厚さになってしまうかもしれない。それほどに研究が進んでいない分野でもある。経済効果はすぐに出ないかもしれないが、今回のコロナ禍から菌類への関心が広がったけれどね。

 

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グロリアからセドリックへ

2020-10-19 21:29:05 | 自動車・エンブレム

 前日の「三菱GTO」車の近くに似たような図体のニッサン「セドリック」があった。日本の自動車がアメリカに・世界に追いつこうという意気込みが感じられる名車だ。一般庶民からすれば垂涎の高価な高級車だった。高度成長に奔る1960年に発売され、2004年の販売中止になるまで10代目を更新した。

           

 また、エンブレムには戦前の1910年代から流行した立体エンブレムもある。最近のニッサンのエンブレムはほとんど横文字の「NISSAN」しか見られない。その意味では、往年のエンブレムが個性的で懐かしい。

 立体エンブレムは、交通事故のさい危険をともなうとして2001年の法規制により、すっかり路上から消えてしまう。ただし、ベンツやロールスロイスなどでは立体エンブレムに触れると車体内に格納される仕組みが導入され、一部ではまだ生きている。

          

 セドリックのエンブレムはどうやらニッサン「グロリア」のエンブレムを二つに分解して再構成したようだ。グロリアは前皇太子・美智子妃のご成婚記念の鶴マークを採用したようだ。このエンブレムでもアメリカ車デザインの影響がまだぬぐい切れていない。

                    

 「セドリック」は、バーネットの『小公子』の主人公の名前だが、ニッサン社長の川又克二氏の命名だという。最近のニッサンは独自のエンブレムがないのが残念でしょうがない。会社の再建でそれどころではないという余裕のなさからだろうか。小さな会社から合併による合理化などを経て巨大企業に成長した裏には失ったものもあるのかもしれない。それの象徴がルノー合併劇や不祥事にも感じられてならなかった。

 思い入れや心意気がシンプルに表現できるエンブレムに技術者魂が表現されるのではないかとかねがね思っているのだけれど、ぜひ実現してもらいたいものだ。  

 

 

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GOTOキャンペーンじゃなくて「GTO」だよ

2020-10-18 21:29:17 | 自動車・エンブレム

 今年はコロナの影響で毎年行われていた「オールドカーin K`s ROAD」が中止となってしまった。今ではなかなか見られない名車が集まる。車には興味がないオイラではあるが、どういうわけかエンブレムだけには関心がある。昨年見た車の中で外車のような大型のスポーツカーに三菱の「GTO」というものがあった。GTOとは、イタリア語の「Gran Turisumo Omologato」の頭文字。スポーツカーを超えた長距離に耐えうるGTカーとして公認された車だ。

                  

 国産スポーツカー全盛時代の1990年代、日産の「スカイラインGT-R」に対抗する意気込みで生産される。また、北米市場をターゲットにしたことで大型で「重戦車」と揶揄されたほどの重さがあった。名車ではありながら日本の道路は合わず、販売不振となり2001年には販売終了となる。

       

 三菱GTOのエンブレムは、アメリカ車のリンカーンのロゴと似ている。北米向けというのでそれを意識しているのが伝わってくる。デザインはそのダイヤモンドの光芒をバックに、イタリアのフェラーリの「跳ね馬」らしき上半身を中央に据えている。そしてその上部に目立たないように三菱のマークを刻印している。このデザインに当時のエコノミックアニマル日本の姿が見えてしまうがどうだろうか。こうしたロゴにも時代背景が透けて見えてくる気がしてならない。    

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利休・織部・左近と違う遠州の「綺麗寂び」

2020-10-17 20:58:20 | 読書

 日本の文化の基底とも思われる「茶道」が、乱世の戦国時代から江戸へと隆盛を極めた。しかも、大茶人と言われた山上宗二・千利休・高山右近・古田織部は斬首されたり流罪にされたりしてきた。そうした中で、茶道は現代に息づいている。波瀾万丈の歴史を持つ茶道はなぜ生き残れたのか、それを探る茶人シリーズの最後は、小堀遠州を描いた葉室麟の小説『孤篷のひと』(kadokawa文庫、2019.8)を読む。

   

 利休・織部の命がけの茶道を踏まえた遠州は、安定しつつある徳川幕府の高級官僚として天下泰平の調和の茶道を確立したと言えるだろう。遠州は、当代を代表する茶道の一人者であるばかりではなく、建築・作庭にも「いい仕事」を残している。もう少し作庭の特徴も表現して欲しかったが、身分の低い「山水」の協力なしには庭づくりはできなかったことを著者は見逃さない。遠州の茶道は大名茶道でもあったが、そうした庶民を登場させた仕事をしているところは「和の心」を大切にした遠州らしい生き方が出ている。

           

 遠州の「綺麗さび」について、「解説」の東えりか氏は「余分なものを徹底的に削ぎ落した暗い茶室で、黒い楽茶碗を用いることで、客人と深く濃い交わりを求めた利休、大きく歪んだ茶碗で自身の感性を表現しようとした織部。一方、遠州は、均整の取れた白い茶碗を好み、茶室は、窓が多く、柔らかに光が届く明るい空間だった」と的確な分析をしている。遠州の作陶からも、安定した時代らしい端正で均衡のとれた遠州好みが発揮されている。(画像は、遠州流茶道宗家公式サイトから)

  

 遠州の生き方について、著者は、「ひとがこの世にて何をなすべきかと問われれば、まず、生きることだとお答えいたします。茶を点てた相手に、生きておのれのなすべきことを全うしてもらいたいと願い、それがかなうのであれば、わたしも生きてあることを喜ぶことができる」と表現している。そこに、権謀術数にたけた武人や商人を調和させ、真っ当な生き方を気付かせていくという遠州の茶の心が読み取れる。

                     

 山上宗二・利休・右近・織部らの小説を中心に茶人の生きざまをたどってきたが、そのドラマチックな生涯から見ると、遠州のそれは物足りないものがある。それは安定した時代の役人の宿命・バランス感覚でもある。

 また、葉室麟の表現には端正な世界が貫かれている。段落や章の最後の短い言葉には余韻があってそれが主人公の心の風景を醸し出しているのに成功している。それらを拾ってみると、「御所の庇の下をひらりと燕が飛んだ」「初秋の風が庭を吹き抜けていた」「三成の孤独な背中がふたたび思い出された」などに散見できた。

 総合芸術でもある茶道は命がけで貫徹された精神の歴史でもあった。しかし、現代では茶道は大衆化したものの、その精神は風化し、型だけが残ってしまった現状にある。その意味でもう一度、戦乱のさなかに育まれた茶の心を振り返るべきだ。それは、日本学術会議の誕生した精神を見つめる作業と似ている。

 

 

 

 

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耕運機のオイルを交換する

2020-10-16 21:34:02 | できごと・事件

 畑のスペースはあるけれど、耕運機がトラブるのでしばらく畑を耕すことができなかった。トラブルの原因はオイル交換wしなかったことらしい。汚れたオイルを交換してみる。前回に交換してみたが好転せず汚れは相変わらずひどい。どうやら、常備していたオイル自体も古くなっていたようだ。そこで、新しいオイルを購入してみる。

 耕運機はガソリンの補給で動くが、それ以外にエンジンオイル、ミッションケースオイル、エアクリーナーオイルの三か所も交換しなければならない。重い腰をやっとあげてもう一度すべてを交換し直す。

   

 予定していた畝はイノシシが丁寧に荒耕してくれていた。そこに呼応して耕運機は動き出してくれて、なんとか小さな畝を無事に耕すことができた。ただし、長く使用するとエンジン部分が高熱になりそこにそもそもの欠陥もあるように思う。こうなると農協の修理部門に持ちこむのは時間の問題かもしれない。まずは、知り合いからいただいた白菜の苗を植え込むスペースが確保できたことが前進だ。

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七変化どころじゃないエビガラスズメ

2020-10-15 22:29:22 | 生き物

 空芯菜が終わったので片付けをしていたときだった。そこに突起の尻尾のあるイモムシを発見する。尻尾があるといえばそれはすぐに「スズメガ」の仲間であることはわかった。しかし、スズメガと言っても日本に80種類もあるからどれに当たるか調べてみた。しかし、画像と同じものはなかなか見つからない。イモムシ・毛虫の幼虫は生育段階によって色も形も模様も変わるから始末が悪い。

 やっと同じものを1件だけ見つけた。それでこれは「エビガラスズメ」だったことが判明した。なーんだ、それならけっこう見ていたはずだ。けれど、幼虫には緑色型、褐色型、中間型など色が違ってるし、模様が違うのが困る。尻尾の尾角(ビカク)の機能はいまだ解明されていないという。金銭を生まないようだからいま話題にもなっている研究予算もないんだなー。

          

 成虫のからだの赤っぽい部分がえび殻に似ているというので「エビガラ」の名前がついた。そういえば、ときどき見たときがある。 個体によっては紅色が鮮明なものもある。(画像はwebの「芋活com」から)

             

 さらに、畑の土の中でこの大きい蛹も何回か見たことがある。はじめてみたときは恥ずかしながら気持ち悪くて踏んづけてしまったこともあった。特徴であるくるりと紐状のものは将来口器の一部になるようだ。(貴重な画像は写真家・安田守氏のブログから)

 

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さすがの当局も憤慨する糞害

2020-10-14 22:02:34 | できごと・事件

 和宮様が外で憤慨して叫び出した。「こんな所に大きな糞をするとは誰ぞえー」と怒り出した。当局はすぐさま現場に出動することになってしまった。確かに大きな糞が路上に三か所もあった。これはいかにも当てつけに見える。この糞は人間のものでも犬のものではない。

    

 糞の中身をよく見ると、柿の種が多く見られた。糞からも秋たけなわの片鱗がみられる。ぐーたら当局はそれ以外の内容物の分析はやらず、早くも犯人はタヌキであると発表してしまった。タヌキを見たわけでもないのにタヌキが犯人であると断定するのはよほど自信があるのだろう。糞によほど憤慨しているのだろうか。

               

 そんなに早く断定してよいものかどうかは疑問だが、アナグマの可能性だってあるのではないかとも思う。しかし、質問は受け付けないのがいつもの当局のやり方だ。

      

 その後も次々目立つところに糞害があり、そのたびに片づけはオイラに命令がある。だから、和宮様や当局だけでなくオイラも憤慨&糞害争議団となる。この糞があるときは、イノシシが来ないときなのだ。つまり、イノシシと連携している害獣ネットワークがあるらしい。文化人類学者の今西錦司の「棲み分け」理論に当たるのだろうか。

      

 栗が終わり、イノシシの出番はどこだろうと思っている矢先、畑の入口に害獣の足跡だろうか、ミミズの探索だろうか、まさしくフィールドサインが刻印された。「やれやれ今年は害獣に翻弄されているな。ハンターの高齢化が痛いなー」と愚痴をこぼしたばかりの時だった。

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手紙を読むホタルガ

2020-10-13 21:45:39 | できごと・事件

 どこから入ってきたかわからなかったが、「ホタルガ」(マダラガ科)がわが家に居座ってしまった。飛び方がゆらゆらしているのであまり邪魔にはならない。他の昆虫だとかしましい動きになって夜の平穏が崩れてしまう。そのホタルガはそのうちに手紙を読みだした。ホタルガはなかなか好奇心が強いのがわかる。

                 

 それからは畳の上で寝てしまったように動かない。近くを歩いても逃げない。あやうく踏みそうになる。このままだと、ずっと居候になってしまうばかりか、とにかく踏んでしまいそうになるので、当局の強制執行を借りて外に排除した。とにかく、外にいるときも向うから近寄ってくるのだから不思議だ。人懐っこいのだろうか。ふつうの昆虫は警戒心が強くて近寄ってくることはめったにない。

 ホタルガは、毒のある蛍に擬態することで外敵から身を守る。その生き残り戦略が成功しているせいなのだろうか、警戒心というものがない。穏やかなホタルガのゆらゆら飛行でいつも癒される日々が続く。

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実生か挿し木か干し柿に

2020-10-12 22:35:28 | できごと・事件

 都会に住む娘が渋柿を送ってくれた。以前、娘の庭には富有柿が毎年甘い実をつけてくれたが、狭い庭だったので枝が道路にはみ出してしまい、近隣との関係を考慮して結局は伐採してしまった。ただし、伐採前にその富有柿の「挿し木」をした記憶がある。それが成長して実を結んだが渋柿になっている。その渋柿を送ってくれたというわけだ。

 宅急便にする手間の大変さがよくわかるので、とてもありがたいことだ。また、腐ってゴミになるより、食べてしあわせになるほうがどんなに価値あることだろう。

               

 さっそく、台風が過ぎたので急いで皮を剥いて天日干しすることにする。柿の「挿し木」での生育はタンニンのせいでかなり難しいらしい。当時は(いまも)無知だったので富有柿の旨みを増やそうと挿し木をしたが、ふつうは、「接ぎ木」で増やすのが基本だそうだ。柿は雑種性が高く、親と同じ種を撒いても挿し木をしても、同じものが出来るわけでもない。甘柿が渋柿になってしまった理由もそういうことだったようだ。

 記憶が怪しいが、ひょっとすると柿の種が実生から育って大きくなったのかもしれない。現在の娘の家の庭では道路にはみでないように剪定してある低い柿にしている。甘柿は庭からなくなったが、干し柿の旨さは甘柿を凌ぐ甘さがある。道の駅では、甘柿も渋柿も価格は同じだった。ちなみに、わが裏山で発見した渋柿は昨年強剪定したので実は一つもできていない。だからいっそう、娘の収穫や発送の手間に感謝あるのみだ。

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