茶人シリーズで今回は、長部(オサベ)日出雄『まだ見ぬ故郷/高山右近の生涯』上下巻(新潮文庫、2002.10)の小説を読む。戦国武将としても茶人としてもさらにはキリシタン大名としても有能な文化人「高山右近」の波瀾万丈な一生がドキュメンタリータッチで描かれる。しかし、彼の果たした役割や煩悶はあまり知られていない。しかも、信長・秀吉・家康と三大天下人と対峙・連携した指導者も史上珍しい。
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来日したそれぞれの宣教師は日本の現状を本国へ報告書を出しているが、著者がそれらを丹念に調べている苦闘が伝わってくる。宣教師は基本的に植民地支配のスパイ・先導者だとかねがね思っていたが、多くはその傾向があるとしても、内部は軍事力とセットで支配しようとする武闘派あり、相手の文化を認めながらの調和派あり、貿易で利益を獲得しようとする利権派あり、魂の救済を純粋に求める良心的な清貧派あり、の多様な宗教者集団であることを描いている。
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そして、耶蘇会(ヤソ、イエズス)創立者は軍人でもあり、その趣旨は布教と教皇・帝国への忠節にあった。つまり、権力者への忠節と布教とは矛盾しないのだ。内部には、武力による日本・明を征服するために、長崎を軍事拠点にする計画さえあった。したがって、植民地支配・征服と布教の推進とは一体ともなるので、まさに異教徒をジェノサイドしてきたことは南米の殺戮の歴史をみれば歴然としている。
同時に、戦国大名である高山右近は、戦闘行為の先鋒として積極的に殺し合いの現場を経験してきた。その意味では耶蘇会の方針と大きな違いはなかったのかもしれない。しかし、信長や秀吉の意向で殺される文化人や無辜の庶民をはじめとして、次は朝鮮侵略という海外派兵となると、さすがに右近の琴線がはじけるのだった。
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名誉の大名を選択するのか信仰の精神世界を選択するのか、秀吉から問われた右近は、すべてを捨て、死をも覚悟した信仰の世界を選ぶことになる。当然、海外追放となりマニラに行き着く。マニラでは手厚く歓迎されたものの、旅の疲れは右近の体を蝕んでいき、到着してから五十日足らずで他界する。「われらが生涯をかけてたずねゆく真の故郷は、まだ目にしたこともなき遠きかなたにあるのじゃ」と、魂の安住を求める右近の言葉に普遍が感じられる。
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信長も秀吉も実利で判断する。信仰も実利を背景とした思惑に包囲される。魂を豊かにするのか、実利を豊かにするのか、豊かになるとはどういうことなのか、平成2~3年にかけて毎日新聞に連載された本小説は、同時に戦後日本の迷走と転変を右近の葛藤を通して時代に対峙した作品であったような気がしてならない。
「信長殿のなきあと、にわかに荒き波風がたちはじめた大海を乗りきるためには、おのれの向きをみずから定められる羅針盤を、こころのうちにしっかりと据えておかねばならぬ。弥介、おぬしに自分の羅針盤はあるか」と、右近が問う言葉のなかに、今日の時代や国民に対する作者の真摯な問いが内奥する。