ミラーズ
2008年/アメリカ
鏡の中の‘他者’とは?
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
最近の映画はストーリー展開が緻密過ぎるのだろうか? 勿論過去の作品に似ないようにするためには必要なことではあるのだが、緻密過ぎるためにせっかくの佳作であってもその良さが観客に理解されないという弊害が起こっているような気がする。この作品も例外ではない。
この物語のカギとなるのはアンナ・エシッカーの精神分裂病である。おそらく彼女の病気の原因は彼女の中に宿る善と悪の激しい葛藤によってもたらされたのであろう(言うまでもなく誰でも善悪を合わせ持ってはいる)。だから彼女の中にいた‘悪’を鏡に閉じ込めた後、彼女は善の象徴である修道院に引きこもったのである。
主人公のベン・カーソンは誤って同僚を射殺してしまい家族と別れて以来精神疾患を患っており、精神状態は当時のアンナ・エシッカーと同じである。自分の悪は自分で引き受けなければならない以上、ベンはアンナを鏡のある所まで連れて来なければならない。再び‘悪’が乗り移ったアンナとベンは死闘を演じることになる。
そして問題のラストシーンである。結局ベン・カーソンはどうなってしまったというのか? ベンは自分の家族のために勇敢に戦って死んでしまったというだけの話なのだろうか? 私はベンはただ死んだのではなく鏡の中に閉じ込められたということが重要な意味を持つと思う。この作品で鏡に閉じ込められているのは‘悪’である。ベンは家族を救うためという‘正義’の名のもとに拳銃で脅してまでも無垢な修道女を犠牲にするという‘悪’を犯したのであり、このような‘絶対正義’という欺瞞の暴露がこの作品のメインテーマなのだと思う。
森進一、涙の「おふくろさん」熱唱!(サンケイスポーツ) - goo ニュース
誰も気がついていないのか、あるいは気がついていてももう面倒くさいから指摘
しないだけなのか分からないが、森進一はまたやってしまった。川内康範は曲の
歌い出しにオリジナル以外の歌詞をつけるなと言っていたはずなのだが、森は
今回も「歌の力、人のきずな。改めて人生の尊いものを胸に深く刻んだ1年でした。
これからも一筋に、心の歌を歌い続けていきたいと願っております。」という余計な
“歌詞”を歌い出しにつけてしまった。結局、森は何故川内が激怒していたのか
いまだに理解できていないのであろう。何故素直にオリジナル通りに歌えないのか、
そこが歌手としての森進一の限界なのである。