ザ・マジックアワー
2008年/日本
‘マジックアワー’の意味
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
まずは前作の『THE 有頂天ホテル』から話を始めてみたいと思う。
『THE 有頂天ホテル』で三谷幸喜監督が描こうとしていたことは‘本当の自分’を夢見ながら取りあえず‘かりそめの自分’を生きるという生き方よりも、‘かりそめの自分’を過剰に生きることが‘本当の自分’につながるという問題提起であり、この作品はその問題をさらに推し進めていると思う。
主人公の村田大樹は備後登の計略に気がつかないまま備後の‘修正’に助けられながら‘現実’の中で演じ続ける。それがラストシーンでは‘芝居’の中で‘現実’が揺すぶられることになる。つまり『THE 有頂天ホテル』では個人の内面の問題として扱われていたものが、『ザ・マジックアワー』ではそれを外面に出して描いているのである。
‘マジックアワー’とは夕暮れ時のほんの一瞬、世界が一番美しく見える瞬間のことだそうである。これをこの作品に照らして解釈すると‘マジックアワー’とは‘現実’と‘芝居’の間のほんの一瞬、人生が一番美しく見える瞬間のことではないのだろうか?
首相「11年に中福祉・中負担」 消費増税の決意強調(朝日新聞) - goo ニュース
麻生の言説はますます意味を無くしていっている。一体“中福祉・中負担”とは
どのような意味なのであろうか? どのような福祉政策が“中”となるのか、そして
どのような負担が“中”となるのかは具体的な政策を示さなければ国民は理解の
しようがないのだが、麻生は何も具体例を示していない。示していないというよりも
そもそも麻生は具体的なヴィジョンを持っていないまま、ただ非難されないように
漠然とした語感の良い言葉を選んで言っているだけなのであろう。麻生の威勢の
良さは語気だけであって、内容はますます空疎となっている。