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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

格段のプロデューサー

2009-12-10 00:09:08 | 邦楽

プレイバック Part2 山口百恵 歌詞情報 - goo 音楽

もう一つ今日の毎日新聞朝刊(2009年12月9日)で気になる記事があった。宇崎

竜童が山口百恵について語っているものである。宇崎は先日30年ぶりに山口と

再会したそうで、その時本人に確認したところ山口は自分が歌う曲の作り手を自分

自身で選んでいたそうである。つまり宇崎・阿木コンビの曲もさだまさしの「秋桜」も

谷村新司の「いい日旅立ち」もまだ10代の山口が選んだというのである。これは

本当に驚くべきことで、彼女はただ歌っていただけではなく自らプロデュースしていた

のである。確か彼女は映画の共演者として三浦友和を自ら選んでいたはずだから、

おそらく山口はただ曲をプロデュースしていたのではなく、彼女の人生そのものを

プロデュースしていたのである。私はこの記事を読んで山口百恵が日本芸能史に

おいて小室を遥かに越えた最も優秀なプロデューサーであることを確認した。


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『罪の天使たち』 100点

2009-12-10 00:03:04 | goo映画レビュー

罪の天使たち

1943年/フランス

ネタバレ

妖しく美しき教会批判

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 資料によると『罪の天使たち』のアイデアは、ブレッソンがドイツの捕虜収容所に入れられていた1940年に、スイス出身のブルュックベルジェ神父(1907-98)の勧めで読んだ、M・H・ルロング神父の著作『牢獄のドミニコ会修道女たち』(1938)に基づくと言われているらしい。作品冒頭でもこのドミニコ会女子修道院を告発するような意図はないと断りが映されるが、もちろんこの作品はこの女子修道院を告発するようなものではなく、教会そのものを告発する意図で制作されたものであることは疑いようがない。
 ドミニコ会女子修道院は過去に犯罪に手を染めてしまい改心した女子たちを積極的に受け入れる修道院である。そこへ何の罪を犯したこともない純粋無垢な‘お嬢様’であるアンヌ=マリーと、自分を犯罪に巻き込んだ男を殺した直後に罪を逃れるために修道院に入ったテレーズの間に起こる葛藤が描かれている。テレーズは警察に追われる身であり、アンヌ=マリーは余りにも純粋無垢であるがために自分自身や他者の些細な‘悪’まで目についてしまうことで退会することになる。本来ならばこのような極端な2人こそ修道院は救いの手を差し伸べるべきなのであるが、2人は修道院の秩序を乱すということで嫌悪されてしまう。それどころか結局純粋無垢なアンヌ=マリーが命を賭けてテレーズに自首を促すことになる。テレーズの最後のセリフ「A bientot, ma soeur (=またね、私の‘シスター’)」は強烈なアイロニーである。つまり修道院にいる誰もアンヌ=マリーのように命懸けで自分を助けてはくれなかったという意味であり、‘シスター’不在の修道院は人助けの‘ママゴト’でしかないという意味である。
 どうでもいいことなのかもしれないが、96分と上映時間が記されているが、92分くらいしかなかったように思う。


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