MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『コレット』

2019-06-17 12:36:13 | goo映画レビュー

原題:『Colette』
監督:ウォッシュ・ウェストモアランド
脚本:ウォッシュ・ウェストモアランド/レベッカ・レンキェヴィチ/リチャード・グラツァー
撮影:ジャイルズ・ナットジェンズ
出演:キーラ・ナイトレイ/ドミニク・ウェスト/エレノア・トムリンソン/デニース・ゴフ
2018年/アメリカ・イギリス・ハンガリー

初期の女性小説家の「葛藤」について

 フランス人の女性小説家であるシドニー=ガブリエル・コレット (Sidonie-Gabrielle Colette)(1873年ー1954年)がこれほど奔放な人生を送っていたことに驚く。本作を観て思い出すのは2人の作家であろう。一人は一世代前の女性小説家であるジョルジュ・サンド(George Sand)(1804年ー1876年)で、2人とも「男性名義」で小説を発表したことに、当時の女性の立場の厳しさが想像できるのであるが、コレットがバイセクシャルであるのに対して、サンドは服装倒錯者という違いはある。
 もう一人がフランツ・カフカ(Franz Kafka)(1883年ー1924年)である。ラストでコレットの夫であるアンリ・ゴーティエ=ヴィラール、通称「ウィリー」が秘書にコレットの生原稿を焼却するように頼むのであるが、秘書が焼却しなかったおかげで、その後コレットは夫が売り払ってしまった自分の初期作品の著作権を取り戻すことができたのである。これはカフカが遺稿を友人のマックス・ブロート
に焼却するように頼んだものの、結局、公刊されたことで広く知られるようになったことと符合するのである。ウィリーがコレットの原稿を焼却できなかった理由は、コレットの原稿に自分が推敲や校正した筆跡が残っていたためだと思う。


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『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』

2019-06-17 00:25:47 | goo映画レビュー

原題:『The White Crow』
監督:レイフ・ファインズ
脚本:デヴィッド・ヘアー
撮影:マイク・エレイ
出演:オレグ・イヴェンコ/セルゲイ・ポルーニン/アデル・エグザルホプロス/ルイス・ホフマン
2018年/イギリス・フランス・セルビア

「白いカラス」になるまでの経緯について

 ロシア人の著名なダンサーであるルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev)の半生が描かれている本作の見どころは、ダンサーとしてのヌレエフではなく、ヌレエフが1961年6月16日に公演先のパリのル・ブルジェ空港で試みた「亡命劇」であろう。
 亡命に成功した理由は、クララ・サンと顔見知りになっており、彼女は当時フランスの文化相だったアンドレ・マルローの息子と婚約していたからであるが、クララは1961年3月23日に交通事故で婚約者を失っている。ヌレエフはクララとレストランで食事中にウェイターが運んできた食事が自分が注文したものではないことに腹を立てるのだが、自分ではなくクララにクレームを入れるように頼み、クララが断るとヌレエフは席を立ってしまう。おそらくウェイターは意図的に間違って提供したとヌレエフは思い、クララに言わせようとしたのは、それがフランス人がロシア人を見くびっているからと捉えたためであろう。翌日になってクララがヌレエフを「許すことにした」と言ったことで、ヌレエフは「フランス」を信用できると思ったのである。
 しかしヌレエフが母国を捨てた理由は、父親に森の中で「捨てられ」、母親のファリダに汚れたままバレエ教室に「捨てられた」という思いがあったのではないだろうか。そもそもヌレエフは走っているシベリア鉄道列車内で生まれていたのだから、決まった祖国など無いのではある。
 ヌレエフの教師はアレクサンドル・プーシキンで、一緒に暮らしていたヌレエフはプーシキンの妻と関係を持ってしまうのであるが、やがてその家から出て行くことになるのは、「女性」から「男性」へ向かうという暗示であることがわかる。
 美術愛好家のヌレエフがパリのルーブル美術館で観賞しているのはテオドール・ジェリコー(Théodore Géricault)の『メデューズ号の筏(Le Radeau de la Méduse)』で、その光景はやがてヌレエフ自身の身に降りかかる出来事を暗示していると思うのだが、人々の肉体に魅了されていたと解釈できなくもない。


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