バグダッド・カフェ <ニュー・ディレクターズ・カット版>
1987年/西ドイツ
‘周辺’の人間関係
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
最初から最後までこれほど謎に満ちた作品も珍しいのではないだろうか? オープニングではドイツからアメリカに旅行に来ていた夫婦が理由が明かされないまま喧嘩をしている。妻のジャスミンが夫と車を残して一人で砂漠の中の1本道を歩いて行ってしまうのだが、後から車で彼女の後を追いかけていった夫は何故か途中でジャスミンに遭遇しないままバグダット・カフェに着いてしまい、結局妻を待たないままどこかへ行ってしまい、何故かその後再び姿を見せることはない。ジャスミンが何故男性用の服を持っていたのか結局明かされることもなく、何故手品のセットを持っていたのかも分からない。ブレンダの夫が出て行った後に心配してカフェの様子を少し離れた場所から双眼鏡で見ているのだが、何故か彼の視線は私たち観客の視線と同じである。ラストシーンも不思議で、ルーディに求婚されたジャスミンは何故か自分の夫ではなくて‘ブレンダ’に相談してからと答える。
これだけ訳が分からないとなると普通は失敗作となるのだが、そのように判断する前にやはり私たちはこの作品のタイトルを改めて考察する必要があるだろう。
『バグダッド・カフェ』というタイトルはシャレたものであり、この作品がヒットした要因でもあるはずだが、原題は『Out of Rosenheim (ローゼンハイムの外れ)』である。‘バグダッド・カフェ’ならば、そこに集った人たちが心を通わせるようになって親密なコミュニティーを築き上げる感動の物語として楽しめる。そのように楽しむことに異存はない。しかしあえて原題の‘ローゼンハイムの外れ’としてこの作品を観るならば、彼らの別の様相が見えてくる。
ドイツに存在するこの街がどれほどの規模の街なのか寡聞にして分からないが、タイトルの意図としては‘街の郊外’であるということに間違いはないであろう。つまりジャスミンやブレンダたちは夢や希望を抱いて‘中心’に集った人たちではなく‘端’に追いやられて他に行く場所がない人たちなのである。それ故に彼らの関係というものは決して積極的なものではなくて、ガラス細工のように脆いものであるだろう。だからそのことを察して、関係が壊れた後の心的ショックを避けるために入れ墨師のデビーは「あまりにも仲が良すぎる」と言い残して出て行ったのであろうし、関係が不安定であることが分かっているからこそ、ルーディに求婚されたジャスミンはブレンダに相談すると答えたのであろう。まるで1つでも謎が明かされると一気に関係が崩壊するような雰囲気である。
『バグダッド・カフェ』とは、このような儚い人間関係を「コーリング・ユー(=あなたを呼んでいる)」という名曲と鮮明な美しい色彩で包み込んだ傑作である。
M-1優勝のパンクブーブー、一夜明け大忙し!(サンケイスポーツ) - goo ニュース
M-1の審査では久しぶりに納得できる結果になったと思う。パンクブーブーの
ネタを見るのは初めてだったが、2つのネタともに緻密な構成で良く練られたもので
面白かった。しかし問題ではないのだが、笑い飯の決勝の“チンポジ”のネタは
間違いなく確信犯的なものだったと思う。優勝する実力は十分にあったと思うが、
あえて後輩芸人に優勝を譲ったという意図もあっただろうし、“伝説”を作るという
意図で視聴率の高いゴールデンタイムの番組にあえて下ネタをぶちかましたのだと
思う。本当に笑い飯は面白いと思うし、来年も出場するそうであるが、残念な事に
“華”が全く感じられないのが惜しい。
「パチンコ必勝法」で集団訴訟=詐欺と主張、全国初-宮城(時事通信) - goo ニュース
私にはいまだに「パチンコで必ず勝てる方法を教える」などと言われて情報料を
だまし取られる被害が急増しているという事が理解できない。パチンコで必ず勝てる
方法があるのならば誰にも教えずにこっそりと一人でやっていた方が儲かるし、
攻略方法がばれているならばメーカーはすぐにプログラムを修正するはずだから
教えてもらった次の日にはもうその攻略方法が使えないということもあるはずだと
いうことに何故被害者たちが気がつかないのか不思議なのである。穿った見方を
するならば私はこの情報サービス会社「KO企画」とパチンコ業界は繋がっている
ような気がする。
毎日新聞朝刊(2009年12月20日)に文化人類学者の青木保がクロード・
レヴィ=ストロースに関する面白い逸話を書いていたのでここに記しておきたい。
「レヴィ=ストロース氏がカリフォルニア大学バークレイ校の招聘教授をしていた
とき、ある夜、ご夫人と一緒にレストランで食事をしようとしたが、予約をとっていな
かった。客の行列に加わると、ボーイが番がきたら呼びますといって名前を訊か
れた。名前を言うと、とっさにボーイがこう訊いた、The pants or the books !
(ズボンの方、それとも本の方)」。“本の方”というのは勿論レヴィ=ストロースの
ことであるが、“ズボンの方”というのはリーバイ・ストラウス(=Levi-Strauss)という
ジーンズメーカーである。この逸話を読んで、はたして凄いのはレヴィ=ストロース
の方なのかボーイの方なのか私は思案しているのである。
パブリック・エネミーズ
2009年/アメリカ
元気のないパブリック・エネミー
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
どこにでも‘社会の敵ナンバーワン’と言われる人がいるようで、先日、フランスの‘パブリック・エネミー・ナンバーワン’であるジャック・メスリーヌの人生が描かれた作品を観たばかりであるが、この作品はアメリカの‘パブリック・エネミー・ナンバーワン’であるジョン・デリンジャーの物語である。しかし史実を忠実に描いた『ジャック・メスリーヌ』のようには『パブリック・エネミーズ』は解りやすくはない。
通常このような種類の作品においては主人公の栄光と挫折が描かれるものである。しかし『パブリック・エネミーズ』においてはジョン・デリンジャーの仲間たちとの出会いの経緯や‘最盛期’は省かれており、冒頭のシーンはいきなりジョン・デリンジャーが親友のウォルター・ディートリッヒを失うという挫折から始まっている。そしてジョン・デリンジャーは最後までこの挫折の影を帯びたまま何をするにも上手くいかずに盛り返すこともなく殺されてしまうのである。
この作品の主人公を演じているのは、あの有名なジョニー・デップであることは百も承知しているのであるが、不思議なことにこの作品のジョン・デリンジャーの顔を私はなかなか思い出すことができない。それは私だけではないようで、FBIの捜査官たちも彼の顔写真を入手しているにもかかわらずジョン・デリンジャーが特別捜査本部を訪ねていっても誰も気がつかない有様である。
ジョニー・デップを主人公に据えておきながらこの印象の薄さはただごとではない。ラストカットをビリー・フレシェットの顔のアップで終わらせなかった以上、マイケル・マン監督はこの作品でジョンとビリーのラヴストーリーを描きたかったわけでもない。つまり私たちはこの作品に登場する誰にも感情移入できないまま、ただ画面内で沸き起こる砂埃や白い吐息を堪能するしかない。
だからいっそのこと監督をクエンティン・タランティーノに挿げ替えてしまえば、すぐにでも海賊の衣装を着せることでジョニー・デップが演じるジョン・デリンジャーに生気を与え、‘デタラメ’で痛快な『パブリック・エネミーズ』を撮ってしまうだろうから、このもやもやした気分を晴らしてくれるのではないのかという想像をついつい抱いてしまうのである。
それにしても「Bye Bye Blackbird」が流れた時にはFBI捜査官までも‘笑う’のかと思ってひやひやした。
片山右京さん「全部自分の責任です」 2遺体と涙の対面(朝日新聞) - goo ニュース
片山右京という人には現役のレーサーの頃は大クラッシュを起こして瀕死の重傷を
負ったこともあったようだが、それでも怯むことなく走り続けていた怖いもの知らず
という印象を持っている。余程の強運の持ち主のようで今回の遭難においても一人
だけ生還できた。しかし基本的に1人で走るカーレースと違って今回2人のスタッフ
を引き連れていき結果的に2人とも犠牲にしてしまった。片山右京がカーレースの
感覚で登山をしていたのかどうか定かではないが、自身の強運を過信していた節が
ある。さらに残念なのは彼の強運が好成績として現れないところにある。何故その
2つが結びつかないのか不思議なのだ。運が強すぎるということが幸運ということ
ではないのかもしれない。
イキガミ
2008年/日本
問題なのは映画なのか原作なのか?
総合
0点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
この作品は命のあり方を問い直すというコンセプトで制作されたと思うが、残念なことにそれ以前に映画として破綻してしまっており、命の前にこの作品自体を問い直さなければならないだろう。
「みちしるべ」という主題歌を作ったのは森尾秀和なのだが、プロとしてスカウトされるのは何故か田辺翼の方である。てっきり田辺のヴォーカルが買われたのかと思いきや、メインヴォーカルは達彦の方で田辺はギターとコーラスに甘んじている。ということは田辺翼はどのような理由でスカウトされたのかよく分からない。
滝沢直樹が警官から銃を奪って母親の滝沢和子を撃とうとするシーン。滝沢直樹が発砲した後、何故か群衆の一部がわざわざ直樹と和子の間を縫って逃げているが、通常銃弾が通過しそうな場所を通って逃げることはないし、逃げる子供を救う母親を見た直樹が自分と母親の昔を思い出すシーンが説明不足であり、撃つ素振りを見せていない直樹を刑事が射殺する理由も理解し難い。
角膜の移植手術を受ける飯塚さくらを病院総出で騙すシーンがあるが、飯塚さくらの周りにあれだけ患者たちが群がってしまうと盲目のさくらがその気配を感じて怪しむことは間違いない。明らかに演出ミスである。
ツッコミどころ満載の駄作と断定しておきたい。
「超」記憶法の著者「収入記憶できず」脱税(読売新聞) - goo ニュース
先日も脳科学者と称している茂木健一郎が印税や講演料など約4億円の所得の
申告漏れを指摘されていたが今度は「世界最速『超』記憶法」などの著書で知られる
通信教育業「つがわ式」の津川博義社長が、約4378万円を脱税したとして、鳥取
地検が津川社長を所得税法違反で在宅起訴したそうだ。他人に脳を酷使させる
当事者が何故自分の脳を使いこなせていないのか不思議でならない。今回の件で
脳を商売に利用している人間は信用できないことになった。つまり“脳科学”という
ものは占いレベルであり、新興宗教のようなものであろう。茂木健一郎はいまだに
自説の“クオリア”を自身で定義できないままで平気でいられる脳レベルなのだ。
朝ズバ緊急テコ入れ、キャスター2人交代(日刊スポーツ) - goo ニュース
何度も書いてしまうが本当にTBSというテレビ局は色々な意味で“先が読めない”
テレビ局だと思う。視聴率が伸び悩んでいる「みのもんたの朝ズバッ!」に緊急に
テコを入れる策として、来年1月から“キャスター”2人を交代させるというのだが、
普通テコを入れるのならばキャスターではなくてメイン司会者か、あるいは番組自体
を変えるかするだろう。おそらくこの番組に関心がある視聴者の大半はみのもんた
を見たいか見たくないかで視聴を判断しているはずだからキャスターが誰であろうと
気にしていないと思う。だから番組の視聴率が低下しているということはみのもんた
が厭きられているということでしかないと思う。もう朝からおじさんの説教は聞きたく
ないという健全な人たちが増えているということで良い傾向だと思う。
「チロは家族。命で償わせる」 元次官襲撃、被告が証言(朝日新聞) - goo ニュース
「(飼い犬の)チロちゃんは家族の一員と思っていた。命を取られたら当然、命で
償わせる」とか、元厚生事務次官宅を連続襲撃したことについて「まったく後悔して
いない。今回の『決起』を実行できたことについて自分をほめてやりたい」と述べて
いるような男の言説を真面目に取り上げる事は無意味なことかもしれないが、この
小泉毅の供述から判断するならば、小泉は元厚生事務次官を襲うのではなくて、
実際にチロちゃんの命を奪った当事者に命で償わせなければ小泉がチロちゃんの
敵討ちをしたことにはならないはずであるということは小泉は理解できているので
あろうか?小泉自身が保険所で殺されたと述べているのだから、検察はその部分
をつっこんで訊くべきであろう。もう正常者と見做していないのかもしれないのだが。