なかなか面白い本だと思う。薀蓄だけに走らず「すき焼き」について真面目に考えているのがウリだ。私がこの本を購入したのはすき焼き十徳の十番目の文章が気に入ったからだ。
⑩値段が自由。最大要素の牛肉はピンキリどころか、ピンピンもキリキリもあるから、自分に合ったレベルを買えばいい。ここはまったくの自由裁量の部分である。
…高ければそのぶんおいしいというのは短絡思考。たとえ牛肉店の主人だって、そんなことは言わない。自分の舌に合ったレベルの肉を、財布と相談しいしい選ぶのがコツである。-という結論を得たのが、わたしのすき焼き行脚であった。
日本人の安易な「和牛霜降り信仰」が一方では「偽装表示」を生む温床になっていることを我々はつい忘れがちである。本書ではいろんな部位を混ぜることによって「客の嗜好と懐具合」に応えようとする店がいくつか出てくる。千成亭(滋賀県彦根市)、ちんや(東京都台東区浅草)を紹介した欄は一読の価値がある。ちんや六代目社長・住吉史彦さんの発言を参考までに引用しておこう。
「同じ商売 - たとえばすき焼き屋、うなぎ屋、どじょう屋が同じ地域のなかで何軒もやっていけるのは、それぞれの割り下の味が違うからだと思います。お客さまは自然に自分の舌に合う店を選んで通いますから、どの店もそれなりにやっていけるのです。同じ街に甘いすき焼き屋としょっぱいすき焼き屋の両方があっていいんですよ。『ちんや』は割り下が甘かったからこそ存在意義があって、つぶれずに残ってきたのではないでしょうか」
「熟成することによって、肉のなかのたんぱく質がアミノ酸に変わり、また肉の水分が減るためにうま味成分の濃度が増すんです。それが牛肉のうま味の本質だと思います。脂肪(サシ)が多いと味はマイルドになりますが、脂肪それ自体がうま味に貢献しているわけではなく、あまりに脂っこいと、むしろマイナスの影響が強くなると思います」
肉に関してはいろんな考え方があるが、私は住吉さんの持論に賛同する者の一人である。同じ部位を食べ続けると必ず飽きがくる。だから味に変化をつけるために性質の違う肉を混合するのがポイントになる。やわらかい肉ばかりを食べていたのでは永久に牛の味を理解することはできぬということをこっそり教えてくれる良書だ。