寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岩国城下・錦見七町の一つである登富町

2009年12月11日 | 

江戸時代、錦帯橋を渡った東部エリアを「錦見」と呼び、ここに下級武家屋敷(大明小路)と町屋が配置された。

城下における北の筋が通称:本町(玖珂町・柳井町・鍛冶屋町・塩町)、南の筋が裏町(材木町・魚町・豆腐町)で「錦見七町」を構成した。

歴史町名:登富町

私は裏町三丁目にあたる豆腐町(後に登富町と表記されるようになる)の四辻に立った。「歴史町名」の札をつけた精肉店は戦前「射的場」であった。昔この界隈には職人(特に大工)が多く住んでいたという。現在は食料品関係の店が点在している。

辻を真っ直ぐ(北西に)進めば「岩国市小売市場」だが、ここを右に曲がる。少し行くと左手に「明覚寺」が建っていた。

明覚寺

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人通りの少ない登富町商店街を歩く

2009年12月11日 | 

「登富(とうふ)町商店街」を見つけ北西の方向に進む。氷屋(道の右手中ほど)の先には「歴史町名 新地」という木札が掛けてあった。現町名では岩国市岩国2丁目15‐2×辺りになる。

歴史町名:新地

格子戸の家は大正から昭和初頭にかけて建てられたものだろうか。まるで80年ほど前にタイムスリップしたかのような感じだ。

細い路地は彦根市の「旧袋町」と似ている。大きな違いはここはほとんどが十字路になっていることだ。私はかつての「色街」へ足を踏み入れようとしていた。

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