昭和40年代子ども達は鉛筆やジャポニカ学習帳を町内の文房具屋に買いに行ったものである。中には駄菓子屋やプラモデル屋を兼ねている所もあって子どもの遊び場の一つだった。本通り筋(現本通り1st)のはぶ文泉堂は正統な文具店で品揃えが豊富で城下町の人間はここで買い物をするのが普通であったと記憶する。

はぶ文泉堂の創業は戦前で昭和5年の市街地図に既に記載がある。昭和初期に撮影された木綿橋そばに店が写っている(入江はまだ埋め立てられておらず北浜の大きな電柱の背後に「はぶ文泉…」という看板が見える)。橋の欄干は金属製になっているが、大正時代の写真ではまだ木製である。橋の袂(北浜)の交番は新町遊廓に向かう男達を監視する(また遊女の逃亡を未然に防止する)目的が強かったものと思われる。


はぶ文泉堂の創業は戦前で昭和5年の市街地図に既に記載がある。昭和初期に撮影された木綿橋そばに店が写っている(入江はまだ埋め立てられておらず北浜の大きな電柱の背後に「はぶ文泉…」という看板が見える)。橋の欄干は金属製になっているが、大正時代の写真ではまだ木製である。橋の袂(北浜)の交番は新町遊廓に向かう男達を監視する(また遊女の逃亡を未然に防止する)目的が強かったものと思われる。

