中藪橋手前の遊歩道沿いに「晒庵(さらしあん)」という地域住民が気軽に集える建物がある。私はその横から芹川の土手下へ移動した。この辺りは晒山(さらしやま ※晒屋ともいう)と呼ばれる湖東焼発祥の地だ。明治期に途絶えた焼き物を復活させた中川一志郎さんをフジテレビ系列が取材していたのは確か4年前だった。
私は三界万霊供養塔を見て明治29年(1896)9月上旬に発生した水害の犠牲者を慰霊するために建てられたものだと予想した(実際に晒山の堤防が広範囲で決壊している)。
しかし、すぐに自信が揺らいだ。市営住宅「中藪団地(2・3・4棟は3階建)」の方へ歩いて行くと空き地に気になる「立入禁止」の看板が立っていたのだ。
「国有地 彦根拘置支署」の文字から「滋賀県彦根監獄」とのつながりを連想せずにはいられなかった。勿論私は跡地がどこなのかは全く知らず結局モヤモヤした思いだけが残った。
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