トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

民は「無縁ほっとけ」

2010-05-03 | 性向有毒の翁なれば

Photo_5『春雨や地盤も緩み策は無しカバン満たすに看板変える』

『しいな衆添加酷苛はその通り政策以前うつわがうつわ』

『壇林は当たり年なりここかしこ雨後の新党ス入りの古子』

『直きこと内にあらざる蝙蝠は鳥に付いたり獣に色目』


草刈りの季節

2010-05-03 | 感じるままの回り道

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 いよいよ草刈りの季節到来だ。会友のW氏夫妻が植栽した樹木の根周りをあらかじめ手鎌で刈り払ってくれる。炎天下の楽でも無い作業を前もって実施していただけるので、刈払機で刈り払うのが随分と容易になるのだ。

 刈払機で根回りまで刈り取ろうとすると、注意を払っても幼樹を傷つけたり、地際から切断したりすることを皆無には出来ない。「今年で後期高齢者 になりました」と、先日笑って話していたが、この年齢で辛い無償の労働を自ら行うので「高貴好例者」と呼びたいくらいだ。

 一方で「一病息災」というが、年老いても屋外作業できる健康は幸福の極致と思わずにはいられない。

 里山作りのなかでの刈払いは、畑やあぜ道の刈払いとは異なり「選択的」に行う必要がある。残すもの、衰退排除させるもの等々、刈り払う中で取捨選択をしていくことが求められる。基本的に衰退排除させるカテゴリーのそれも、一律ではなく地形や環境用件であえて残す場合もあるから、全体的、総合的、俯瞰的と言うべき視点が必要な作業でもある。今風に言えば「部分最適化と全体最適化の統合」とでもいえるだろう。

 写真の植物は「変わった花」を持つ正体不明の植物だが、こんなものも地上部にはあるのだ。その意味ではフイールドを普段から歩きまわっている必要があるのだが、年齢的に徘徊行動が生じ易い頃となった小生でも、これもまた難しい要素だ。

 「手入れ」としての草刈りとは極めてアカデミックで、瞬間の判断とフイールド・ビジョンを要する頭も体力も必要な作業だなんて、やってみて判ることですね。決して「単純重労働」ではないなあ!