トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

大正末期のふるさと

2010-09-25 | 今はうたかた

Photo_3  帰省の帰路、久しぶりに兄の所に立ち寄ったら、大正末期の故郷の写真(コピー)を渡された。現在は、と言うと、新幹線の駅舎に変わり、田も一面住宅になってしまった。

 駅は大正12年に開業したが、関東大震災の年に祖父母が新築した実家らしき家が見えるから、誤認の可能性はあるにしろ懐かしい一枚である。生家は既に建て替えられている。

 魚野川の堤防も大きくはなく、度々氾濫して水田を浸したと言う郷土史の記述が浮かぶ。撮影地点はおそらく「西国霊場巡り」を模した、三十何番だったか忘れたが、見晴らしの良い「あの場所」であろうことは推定できた。

 田んぼの中に「フッコ」と呼んだ大きな二つの沼が見えるのも懐かしい。ウナギを獲り、三尺もある大鯉を狙った思い出深い場所なのだ。夏はオオヨシキリが飛来して営巣した、さえずりを聞くのも楽しい場所だった。しかし耕地整理で埋め立てられ、今は跡形も無い。

 明治維新の中越戦争の頃、ここも戦場の一角だった。「あの場所」への途中にまだ十代の会津藩士や薩長の若い戦死者の招魂所があるが、この中に現皇室の祖母の縁に繋がる若者もいて、婚礼の頃は近く感じたものだ。でも、ここは寺の墓所より恐ろしい場所だったのだ。


補植をする

2010-09-25 | 今日は真面目に

Photo  秋雨前線の南下で、当地もようやく雨期に突入確実となった。南下の前日は36度台だったのに、今日は一転して21度程度、15度も下がった。

 夏の盛りに、隠れていた竹の切り株に刈払機の刃が当たり、その反動(キックバック)で桜の苗木を根元から切断してしまった。ままある事だけど…。

 この桜は、会友のM氏が記念樹として植栽した物で、そのままにしては置けないから、秋に補植の心算で時期をうかがっていた場所である。

 名月は見なかったが、夜半からの降雨で、まだ数日は雨模様の予報が出たから、晴れ間を盗んで補植を終えた。同じ品種は入手できなかったけれど、早くから花を見れる菅桜、でなく寒桜を植えた。

 雨は止んでいたものの、黒い空で雷の音がする晴れ間だったが、植えつける間は幸いにも濡れずに済んだ。これでようやくホッとしたが、刈払機が導入されて以後「幼樹の切断と、蔓草に覆われて枯れ死させてしまう事態が増えた」のが業界紙に載っていた。

 業界人ではないが、頷ける一行だった。幼樹の切断を避けるために根元まで刈り払うことをしない。結局、蔓草に覆われて生育不良・枯れ死となる。この防止のために手鎌の作業というアナログそのものの仕事は機械化されても切捨てできない大切な作業であり技能だが、その手間を骨惜しみしたくなるのが常だ。