帰省の帰路、久しぶりに兄の所に立ち寄ったら、大正末期の故郷の写真(コピー)を渡された。現在は、と言うと、新幹線の駅舎に変わり、田も一面住宅になってしまった。
駅は大正12年に開業したが、関東大震災の年に祖父母が新築した実家らしき家が見えるから、誤認の可能性はあるにしろ懐かしい一枚である。生家は既に建て替えられている。
魚野川の堤防も大きくはなく、度々氾濫して水田を浸したと言う郷土史の記述が浮かぶ。撮影地点はおそらく「西国霊場巡り」を模した、三十何番だったか忘れたが、見晴らしの良い「あの場所」であろうことは推定できた。
田んぼの中に「フッコ」と呼んだ大きな二つの沼が見えるのも懐かしい。ウナギを獲り、三尺もある大鯉を狙った思い出深い場所なのだ。夏はオオヨシキリが飛来して営巣した、さえずりを聞くのも楽しい場所だった。しかし耕地整理で埋め立てられ、今は跡形も無い。
明治維新の中越戦争の頃、ここも戦場の一角だった。「あの場所」への途中にまだ十代の会津藩士や薩長の若い戦死者の招魂所があるが、この中に現皇室の祖母の縁に繋がる若者もいて、婚礼の頃は近く感じたものだ。でも、ここは寺の墓所より恐ろしい場所だったのだ。