飛行機も蜂に聞こえる秋深し
迂回して大蜂も来る男前
ブブと来るとんぼブォンのすずめばち
冬めだか波紋のこして沈みける
竹林の林床に鳥の羽毛が散乱していた。時折見かける食事の痕跡だけど羽は様々だ。鳥の種類は確定は出来ないが、キジバトの羽毛ではないかと色合いで想像する。
林内の粗朶の集積した上に散乱していたから、捕食者は獣類か鳥類か判断がつかなかった。今まで見つけた場所は、概ね林内周辺で、明るく開けたところで痕跡を見出したことは無い。
感知する・しないにかかわらず、食物連鎖は連綿と継続しているのだが、我々も連鎖の環の一角にいても、それを自覚しないのは恐ろしい事だと言ってよいのだろう。落葉が土に還っていく様を見るたびに思うことだ。
落葉でも竹や笹類の葉は腐植し難いようで、腐葉土化が進まず堆積していくのを見ていると、林床が貧しいのも良く理解できる。蛇足だが周年一題のあそこは、冨蝕に熱心なだけで不要度化するばかりの連鎖だけだから、この鳥のように生きることへの連鎖に寄与する者は一人もいないのだろうなあ。
羽毛の散乱した光景は、一般的には「可哀相」と言えるのだろうが、小生的には「有り難や、合掌」に類する。「可哀相」も大事だけど、近辺で頻繁に生じている「猪の括り罠」リセット行為は、きっと「可哀相」、「動物愛護」などという視点で行っているのではと、元の地主と立ち話をしていて思えてきた。「人声色々」である。