現在、除伐中の尾根上部から除竹の済んだ林内を見下ろすと、急傾斜と言うことも在り「高度感」がある。多少の「高所恐怖症」があるから、肛門が縮む感じもする。
少年期の頃、屋根の雪下ろしもしていたのだが、最初の時、大屋根で立ち上がれなかったのを今でも忘れない。青年期には登山が趣味だったとは言え、高度感のある場所は苦手だった。
今年の大雪で、既に80人を越える死者が出ていると言うが、その対策に行政が出した予防策をみて呆れてしまった。これほど事務的・型どおりで済ますとは…。ペーパーワークの模範みたいな内容としか思えなかった。「独りで作業するしかない高齢者」の視点が決定的に欠けている。
①二人以上で作業に当たること②ヘルメット、命綱を付ける事③ケータイを持ちまさかの時に連絡を取れるようにすること等、ご無理ごもっともな項目であるが現場や作業の実態に配慮も憂慮もしていない根性丸出しの無い要だ。内容ではない。
高齢化、過疎化に加えて一帯が作業員不足、後回しには出来ない雪の重さ。命綱を何処につけるか構造なんてないし、綱をつけたら動きが取れない。ケータイを持っていても、転落したり、雪に埋まったりしては操作も出来ん。出来るようだったら死者は出ぬ。
それで思い出したことがあった。まだ勤務していた頃「利用者のために」が行政側の通達・指示・指導の要だった。文書でも指導監査の口頭でも必ず言われていたことだった。しかしトイレ地下の下水管が壊れて使用不能になった時、「修理金額が契約によって施設負担の範囲ではない」「年度末の補正予算が通るまでは工事は出来ない」との理由で半年間使用不能だったのだ。「施設が身銭を切って修理するから工事許可をください」の再三の申し入れも却下だった。
そんな中、トイレ使用不能の棟にノロウイルス感染者が出て、終息するまで感染を施設全体に循環させながら50日ほど要した。典型的な「お役所仕事」の悪しき結果だと今でも確信しているし、今回の予防策も全く同じ感覚だ。「高所平気症」が子どもたちに見られるという今日、公僕とは言え、リスクをリスクと感じなくても済む、恵まれた人達は存在しているのだ。