トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

啓蟄はまだだけど

2011-02-24 | 小父のお隣さん

Photo  Photo_2

 啓蟄は3月6日だ。といっても虫たちは既に花に訪れている。花粉も鼻に訪れている。みんな春だから浮き浮きと訪問したくなるのだろう。トロル小父の行く先は山だけであるから、足元から賑わってくるのは自分の賑わいの様な錯覚がある。と言うより誤認知なんだろうが、こういうことから「認知症」と付けたのだろうか。

 オオイヌノフグリに訪れていたのは、蜂とも蝿ともつかない昆虫だった。腹部の黄色と黒の模様がなんとも美しいのだが、これは裸眼ではわからなかった。PCで再生して初めて判った模様である。当然、虫の名前はわからない。

 フキノトウにも虫がついていた。こちらはカメムシの仲間だと見当がついたがそれだけ…。行きずりの花に虫が確認できるようになって、野山も少しずつ賑わいを増してきているようだ。そういえば、遠くの裸木も霞みを帯びてきた。特に柳の類は明らかに「萌えて来た」と思える淡黄色の霞状に見える。「春だなあ!」と思う反面、故郷はまだ数メートルの雪の下なのだ。日本は広い。


徒労の一日

2011-02-24 | 水辺環境の保全

Photo Photo_2

 苦笑いして溜息をつくしかなかった溜池の畔だった。むかしむかし「あの橋のたもとで」と歌い出す、一世を風靡した歌謡曲があったが、そんなロマンスとは無縁の徒労の結果だった。

 神仏に誓って、これは「欲張り」の結果だったとは露ほども思わないが、また繰り返した「徒労」の一日だ。先日の降雨で、思いのほか集水できる溜池と判ったから、昔の堤の跡らしいところまで池を拡幅しようと新たに土を盛り上げたのが、文字通り「水泡に帰した」のだ。

 そこは当初に作る予定だった地点だが、土を盛り上げる量が多いので断念したのだった。今回は貯水量が多いほうがよいだろうと、また周囲から土を掻き集めれば造成出来そうなので思い切って着手した。午前中に予定の半分まで堤を盛り上げ「漏水点検」のため水を張って昼食とした。ところがである、食事の後、立ち寄ったら水は空っぽだった。堤の外側には滲みも無いのにである。

 そこで思い当たった事は「何でここに漏斗状の窪みがあるのだ」と疑問に思った堤跡内側にあった窪みだ。底もすっかり水は無い。この地点から漏水したのは間違いなく、楽観的に考えれば「堤が完成してから水を張らなくて良かった」と言えよう。このフイールドは、粘土質なのに地下に水が流れてしまう事が多く見られる場所で、林床にも地下の空洞に繋がる穴が結構見られるのだ。

 元の堤に土を盛り返すのも口惜しいから、漏斗状の漏水部分の上手に土を移動させることにした。本当に「賽の河原の石積み」している気分である。


フキのふう

2011-02-24 | 小父のお隣さん

Photo_3  2

 新聞のフキノトウのニュースは終わっているけれど、フイールドではようやく顔を見せてきた。ただ「フキノトウ」でなく「フキのふう」だった。十は無かった。二つだけだ。

 この二つのフキノトウは定例会で作業していた林床にあったのだが誰も気がついていなく、その上、踏まれる事も無く残っていた。小生が見つけたものの初物としてはお預けで、会友のM氏が大好物なので収穫させた。

 ついでに足を延ばして山蕗の群生する場所まで行ってみたのだが、まだ萌えだしてはいなかったけれども、すでに採集に来た痕跡があって、枯れ葉は掻き寄せられてあった。手入れはしないけれど「鵜の目鷹の目」で虎視眈々と「漁夫の利」を狙っている輩はいるものだと感心する。

 ところで「鵜の目鷹の目で」「虎視眈々」「漁夫…」では辻褄が合わないけれど小生的には違和感が無かった。大丈夫か私の脳みそ…。そして「フキノトウの酢味噌和え」。