泥水地の一角、6つあるプールの最終段が一番狭いのだが深さがある。ここが子供達にとっては「お気に入り」の場所の様だ。泥んこって「泥ん子」の事かと見紛う遊びっぷりだ。
どの池でも入り込んで良いことは伝えてあるが、最初から飽かず遊んでいて、今日は昼食時間になっても上がろうとはしない。母親も心得たもので、声は掛けるものの見守っている。
立ち話の中で、こんな遊びの写真を見せると、祖父母さえ「!」と否定的な反応が多いとの事。こんな気持ちや気分が育つ環境を貧しくしていく。その刃を体験しながら、子どもに付き合う母親も賢いし、そんな親に見守られて、子どもは幸せな子ども時代を生きている。
幼児期なんて人生の中では「セミの時間・トンボの時間」なのだから、せめてのびのびと心行くまで遊ばせたいものである。