
主体性も無く直ぐに感化を受けてしまう根っからのまっさらな小生であるからして穢れを知らぬ円らな瞳で放送を見たのだった。最初に断っておくが小雪さんの顔を見ていたけれど小雪さんが出演していたからではない。神様にお供えする郷土の飲料と言うのが何とも気になって早速の仕込みだったのが証明である。
その前に予備知識としてネット検索をしたのだが奄美地方では麦糀の代わりに生のサツマイモを使うのだとか。さすがにサツマイモで発酵させる気にはならず少しは親近感が高い我が青春のみぎり佐藤栄作の署名のある身分証明書で行った沖縄の「おみき」にしたのだ。
しかし手元に麦糀が無い。車の通りすがりに知っていた糀店まで車でン㎞、歩いて4千歩あまり費やし1升購入してきたのだ。米粉は玄米粉があるから生米1カップ分の玄米粉を熱湯で湯掻いて麦糀は腹合わせで仕込んでみた。南の島々では気温が高いから室温で妥当だろうが当地は既に気温一桁台になっている。発酵適温には遠いからヨーグルトメーカーで40℃に設定し10時間の保温とした。

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混合し容器には八分目。甘酒ではこの量で吹きこぼれは一度も無かったのだ

就寝までに数回のかき混ぜを行い夜間は小用に起きた時に撹拌する予定だったのだが忘れての翌朝、明けてびっくりたまげたたまげた!、暴発しているではないかい。麦糀と玄米粉の腹合わせは米糀とお粥で甘酒を作る分量に等しい。甘酒の場合、暴発など無かったのだから麦糀のガス生産能力が高いのかどうか。ガス生産能力が高ければ甘さも高まるはずと思うのだが甘酒ほどの甘味は出ていない。
この「おみき風」ガスの発生が多くて室温で直ぐに容器上縁まで泡が上昇して来る。かき混ぜれば下がるのだが粘性も影響しているのだろうか。甘酒のガス発生とは比較にならずボトルに入れ冷蔵庫で保管していても泡立ってくる。カップに入れて飲んでも泡だけのカプチーノ風で何とも言えない。その上、麦粒に残る閉じ口みたいな繊維質も多量に浮遊し口の中で触る。
さて生の麦糀、今回は丸麦製だが食べて見ると好みでない味がする。米糀の方が嚙み潰してもスルー出来る味だ。そんななんやで出来上がりは美味しくなかった。麦糀に代えて米糀にすれば全くの甘酒であるから今回の「おみき」も麦糀の甘酒、何て言ったらお叱りヤンヤで炎上謝罪になるやもしれん。とは言え作って確認したかっただけであって悪気はないのである。飲用すると丸麦の粒々が邪魔だ。フードプロセッサーで粉砕したら粘度の高い液体になった。水を加え流動性を高めつつボトルに入れて冷蔵保存だ。しばらくはホットで飲むか、それとも白菜を漬けてみようか揺れる。
現地の品質はこんなんでは無いと想像するが実物を飲んだことが無い小生には「どこがどうだか…」分からないのが結果だ。
糀を用いていろいろのレシピを作っているがやはり郷土食「しょうゆの実」が№1であるし、昔ながらの発酵三昧していると地域もレシピも異なるものの何となく共通項が感じられる。その最大公約数の発酵食品はどうなるだろうか・・・で今夜も眠れない。風が強くて眠れない、小用に起きるで眠れない、フレーズ浮かんで眠れない。
あーあ、人生はなんと迷いや悔恨や腰痛・ひじ痛に満ち満ちているのだろう。まだまだ泥浚いの作務が足りない。人生は出哀だ出哀だ出哀だ!。