22日、ようやくビオトープが完成した。完成したというよりも、とりあえずここで一区切りつけたくなったのだ。予想よりも随分と手間隙を労してしまったからである。
当初は「水路の保全」程度の意識だったのだが、結果的に止水域、水抜き水路、導水路・排水口、食草・食樹の植栽、と行政の追加予算のやり方のような体たらくとなってしまった。
植栽したのは、オニクルミ、カラスザンショウ、トチノキ、サンショウ、コナラ、クララ、ユズ、ミツバ、セリ、クローバー、カタバミ、菜花、シモツケ、野蕗、ホトトギスなどである。
アゲハ蝶類主体の食草、食樹が主になっているが、今回の「掘り取り・移植」と言う入手方法ではこの範囲だ。ただ、この区域に出現生息する蝶の種類が判明しないので選択が「いい加減」であるそしりは免れないかも…。もう一方の蜜源植物はこれからとなる。
植えつけたのは付近から採集した株や種子から保育した樹種なので、とりあえずは問題にはならないが、蜜源植物となると、少々思慮分別をようする課題なのだ。
それはさておき、明日から雨の三日間らしいので「日帰り温泉」の行き先でも検討しよう。
21日は激しい雷雨の夜が明けて、すっきり日本晴れとはならなかった。視程2kmにもならない黄砂の朝となった。こんな黄砂は初めてだ。
出かけるのを迷ったが、ビオトープの止水域の水位の確認と調節に出かけることにした。未明までの雷雨で出水は盛ん、水田跡は水浸しだった。
排水管の位置がまだ高いので10cm程さげてみた。これでようやく水浸しの水田跡から水が引き始める。ついでに本流からの掘り割りを80Φの塩ビ管埋設で出水の影響を抑える作業も行う。
昼近く、久しぶりに自然愛好家のH氏が来て立ち話。丁度良い一服となる。帰宅前に原っぱに立ち寄る。ワラビが萌え始めていた。伸びたのも何本かあったが採集は無し。実は20日の定例会で、会友が調理してきた初ワラビは食べたのだ。花カツオてんこ盛りにして醤油をかけてシャキシャキと…美味しかった。
『生えおるか土手修復で削りたる吾亦紅見ゆ葦草の跡』
『葦草の株僅かに萌えたれば掘り切り採りて水辺に列す』
『今は未だ生き様も見ぬ水辺なり修復済みてこの夏如何』
『修復で水辺は広く穏やかに節は痛むも我も穏やか』
『若草は敷くによしなしタンポポは円座のごとく我誘いたる』
林内を通ったら、先日よりもヤマルリソウの株が目に付く。開花の最盛期のようで、あちこちに群生していた。昨年はほとんど目に止まらなかったのは何だったのだろうか。
やっぱりワスレナグサを連想してしまう容姿なのだ。見渡すと林内のあちこちに株があり、小群落を形成している箇所も見られた。林床の枯れ枝や切り払った竹の稈などを片付ければ、見やすくもなるし 繁殖もし易い環境になるだろう。
こんなことを思いつくので結局は作業を増やしてしまう事になる。さて、林内を出たところで白い蝶が飛んできて着地した。近くに着地されると小生、誘惑されるのが常である。
「モンシロチョウか!」と思い近寄ったのだが「ぶぶーっ!」であった。触覚から蛾の仲間らしいが、撮影する気になったのは羽根の模様のせいだ。
見れば見るほどニカワを垂らした様に見えてくる。光り具合などで、そのものに見えるのだ。頭部は正面に回っても撮影できるほど露出はしていない。羽根の下に隠れているような位置関係だ。
お世辞にも蛾であるから、綺麗とは思わないが「変わった模様だ!」と関心くらいは示せる個体だった。ヤマルリソウも名前ほど花弁は綺麗ではないのが残念だ。とは言うものの、控えめな花と柔らかな葉の色使いはしっとりとしていて古き良き時代を思い起こす。
PS:写真の蛾は「ウスギヌカギバ」だった。美麗種との解説があった。
ビオトープに蝶類の食草として植える実生のユズの苗木を林内へ掘り取りに向かった。日陰の一角はスギナの群落だった。土筆はまばらに数本だけだ。「スギナ」と言うだけのことはある。なんとなく杉林の風情だ。
日当たりの良いところは土筆で溢れていた。土筆に混じって山蕗のフキノトウがいっぱい出ていた。ここはシーズン初期に採り尽されて終了、と思っていた場所である。二番手か三番手が頭を伸ばしてきたのだ。ここを狙っていた採集者も思わない事態だったに違いない。
そのお陰で、いつになく時期を少々逸したフキノトウを採集できた。これはやっぱりフキ味噌仕立てだが、今回は静岡おでんに掛ける「おでんの粉」を花カツオ代わりに使ってみた。
ごま油を使用したのでゴマ風味が勝ちすぎたが、熱いご飯にも指に付けて「ペロリ」でも、どちらでも美味しい舐め味噌に仕上がった。レシピの無い料理人は恐いもの知らずである。
ところで「舐め味噌文化圏」は雪国が中心なのだろうか。食べながらフッと想ったことなのだが。
非会員 体験活動1
今日20日は例会日。15人の参加があった。総会の後、クヌギ、コナラ、オニグルミなど30本程度を植樹した。
昼は例によって「トン汁」、作業の後の味噌汁は大変美味しい。昼休みに会友が掘り取った筍を頂くことができた。早速、昨日19日にテレビで仕入れたアク抜きを試してみた。
1 皮を取り除き八等分に切り割る。
2 大根を摩り下ろし、絞り汁に同量の水を加え、さらに塩1%を加えて浸す。
3 浸すこと1時間で「アク抜き」終了。
テレビではボールの中でアク抜きしていたが、帰宅途中で大根の購入を忘れて、冷蔵庫内の分量ではギリギリだった。
そこで貯蔵瓶に詰め込んで隙間を少なくして、液の不足をカバーした。この後、何に調理するかは勿論、筍ご飯である。味付けはチキンスープを使う。ダシ昆布が切れていた。
おかずはフキ味噌だけだが、自分的には「贅沢なデナー」である。ちなみに「鍋の底ガーラガラ」は、故郷で昔話を語り終わった時の常用句である。別の言い方では「イチゴサッテモウシタモウシタ」だったが、判り易くすると「越後ではそう申しましたとさ」なんだとか。
これは還暦も近くなってから知ったのだ。
アズマネザサを刈り払って数年たった草地にはタチツボスミレの群落が目立つようになった。場所によってはタンポポも共存しているから「見事!」と言いたくなる一角も出来てきたのだが、早くから開花してくれた南向き崖下の群落は崩落で埋まってしまったのが残念だ。
尾根筋の刈り払い跡も群落を形成しそうだが、落ち葉掻きをしていないから窮屈そうに株が並んでいる。来期は落葉掻きを実施すればもっと見事になるだろう。
林内はセントウソウの白い小さな花の中に瑠璃色のヤマルリソウが花をつけてきた。なんとなくワスレナグサを彷彿とさせる。里山の野生の植物も花色が多様になってきた。
この13日はタチツボスミレ目当てのご婦人達が何組かもぐりこんできた。宣伝しているわけでも無いのに動物的な感覚なのだろうか、仲間同士の口コミ情報か?
結果的に少しばかりの菜の花は全滅の憂き目にあってしまったけれど、「やはり野に置け…」なんて意識はないどころか少ない食料を奪っていった極悪人に見えてしまう。
丸窓埋める 寒緋桜に
負けぬ私の 艶な頬 ハア コリャコリャ 弥生姐さん
無礼は承知 桜の下で
抱きつきゃ張り手 鼻血酒 ハア コリャコリャ 金満貪士
吉野の桜 千山ひと目
彼の耳打ち 山も消え ハア コリャコリャ 染意芳乃
桜散る木々に優しき今日の陽は背中温めて午後となりたり 路坊
ヤマザクラ葉を萌えさせて花舞台 トロル
花見酒沢庵の屁が臭いたり 浄花
散策路の入り口近くに菜の花が両手で数えるくらいの本数で花を咲かせていた。この1~2年、数本が咲いていたのだが今年は倍増だった。健気に世代交代を続けていたのだが・・・。
ただ、この一体は瓦礫の廃棄場所だった過去があり、覆土も僅かな痩地のため花丈も一尺に満たない成長の悪さだ。それでも数輪の花穂を着けて楽しませてもくれ、僅かな花でも早春の蜜源になっていたのに気がついた時は折り取られて全滅していた。
現行犯は確認していないが、週末に何グループか入った中の誰かだろう。幸いにもスミレの群落は抜き取ったりした痕跡は発見しなかったが「残しておけばいいものを…」と思ってしまう出来事だった。たかだか数本の貧弱な菜の花だけど失った価値は大きいのだ。
経験的に「筍掘り」の人たちは関心など示さない。折り取ったのは、おそらくグループで来たハイカーの類の「おばさん」達、数本を握り締め「綺麗ね、可愛いね!」と鼻にかざしながら意気揚々と帰路に着く姿が目に浮かぶ。
奥のショウジョウバカマの群落は消滅寸前だし、再生してきたスミレの群落も知れ渡って、掘り取りが横行するのだろう。そんな事が目に見えてくる情景だった。
「どうせ新芽は全部採られて枯れさせられるから」とタラノキを刈り取ってしまうグループも在るやに聞くが、その気持ちは良ぉぉく解る。「成すべきか、成さざるべきか」その狭間で活動しながら得られる幻滅も多いのだ。他愛ない事象がほとんどなんだけど……。
東の野に炎の立つ見えてかえり見すれば月傾きぬ 柿本人麻呂
冬枯れの野に歓声の起つ見よとかえり見すれば足つまづきぬ
春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山 持統天皇
冬過ぎて春来たるらし白梅のつぼみ噛みたる雨の築山