トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

春の嵐

2010-03-17 | 水辺環境の保全

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 時間雨量50mmを記録した嵐の一夜のお陰で、ビオトープの止水域は満水になった。濁り水が流入したせいか、漏水も今の所収まっている様子だ。

 ただ、流石に出水は大量だったようで溜池の堤を乗り越え反対斜面を浸食した部分も見られる。しかし幸いなことに、移植した山フキや三つ葉、セリなどは流されずに済み、逆に植え付けした部分を安定させてくれたようだ。しおれていた葉も生き生きしていた。

 砂州も形成されていた「万歳、万歳」である。当然、河床の泥は流されて砂や小砂利の河床が出来上がっていた。ここだけ見れば「春の嵐様々」なのだが、下流は水圧で護岸の丸太が浮き上がったし、段差工を施した箇所は破壊されたし、悲喜こもごもである。

 こんな事続きでは「植樹」に掛かるのが更に遅れる。「働け、働け」とホントによく尻に鞭を当ててくれる人生だ。

  石川啄木もそんなことを感じて詠ったのだろうか。現代社会もまだ当時のまま、といいたいが、更に状況は悪化していると思わざるを得ない。なんたって皆が貧しい時代は過ぎて「放置国家」になってしまったのだから。


森を歩けば

2010-03-16 | 今日は真面目に

『用水の厚く氷を張りたるを聞きては寄せて叩く会友』Photo_2

『間伐の森にヒノキの香は満ちて光に舞いし林床の湯気』

『掛かり木の処理済みし森立ち入りて梢を見やる心たおやか』

『整備した林内ふらら歩きたる何故か嬉しき独り寂しき』

『今はまだ枯葉積りし林床もふた夏待てば林内みどり』


よくよく観れば

2010-03-16 | 小父のお隣さん

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 昨日に続いて22度くらいまで気温が上がった。そのせいかどうかキタキチョウが何匹も舞っている。蝶の仲間はシジミチョウとタテハチョウ位しかまだ見かけない。モンシロチョウやモンキチョウは現れない。ソバカスだらけのキタキチョウではあるが、良く見ると結構整然とした模様なのにビックリした。縁のデザインはおしゃれである。

 蓮華草や野いちごの花も咲きだした。近寄ってしげしげと見つめると意外に面白い構成をしている。牛乳を一滴床に落とした時のクラウンに似た形だ。子供の頃から見慣れていたが、こんな風だとは思わなかった。横方向に展開しているハナビラだけでも「マメ科」と判る美しさだ。

 野いちごの五弁の花も桜やリンゴの花に良く似ている。「バラ科」の仲間だから「当たり前だのクラッカー」であるが、中心部のおしべやめしべが緻密で精巧だ。普段は気にも留めない花々だが、良く見ると感動はあるものだ。

 まだ早いだろうと思いつつ奥の池まで足をのばした。予想より早くガマの産卵は済んでいた。久しぶりに手に取ったが、プルプルのゼリー状が気持ち良い。ビオトープへの産卵の希望は消えてしまった。

 


この国の蚊たち

2010-03-15 | 性向有毒の翁なれば

Photo『鼻薬ゼニフウキ呑む家紛かな』

『両隣家紛家紛で鼻グスリ』

『死士たちは口角粟を付けたもう』

『腹切りは止めて酒樽封を切り』

『両家とも真っ向性根何も無し』


予定は未定

2010-03-15 | 蝶の食草園

Photo_6  コナラやクヌギの植樹をする予定だったのが…、夜中に食樹の植え込みや食草の被地作業までしないと片手落ちに思えた結果・・・。

 今日は一尾根越えた林内にカラタチとカラスザンショウの苗を掘り取りに出かけた。

 樹高三尺前後を12本ほど調達してビオトープの周辺に植え込んでみた。全てが活着するとも限らないから間隔は狭く見える感じに植え込む。

 これに蜜源植物を配置したいのだが選択が難しい。保護区域ではないが既存種の植栽や導入を奨励されているからだ。

 この夏にでも蜜を供給できる植物となると、どうしても園芸種、それも外来種が大勢を占めてしまうのだ。里山の一角と言う立地なので「家の周りに導入されているありふれた品種くらいは植え込んでもいいではないか」と思うところもあるのだが「今ある自然の保護」と言うことになると一度は問い合わせてみなければならないだろうなあ。こういうのは苦手!!!!!!!。

 そういえば養蜂業にとっては死活問題の「ニセアカシヤ」の処遇はどうなったのだろうか。産業基盤や景観樹として植栽奨励されてきた外来種が今は国賊・邪魔者扱いだ。浮世である。


まだまだ続く

2010-03-14 | 水辺環境の保全

Photo  今日、13日でビオトープの造作はようやく一段落した。この後を考えると三月のフイールドはほとんど土を掘りあげるに終始しそうだ。

 ビオトープは片付いたが、実生苗の植え付けが控えている。これも2月から実施するつもりが後回しになっていたのだ。

 ビオトープも当初より手数が掛かってしまった。理由といえば、もちろん小生自身にあるのだけれど、昨夜もガマガエルの産卵の連想からモリアオガエルの産卵環境に思いが行って、結局は樹冠の下まで溜池を広げるに至った。

 昨日、今日とモリアオガエルの鳴き声が聞こえてくるようになったから無視できなかった。近くのため池にも産卵するのだが、その中はアカハライモリがウジャウジャいて、オタマジャクシは全て餌になっているだろうから…と思ってもモリアオガエルが産卵してくれるかどうかの保証はないのだけれど…。

 また、この夏はビオトープ内の葦の伸長は望めないだろうから、今期に孵化するであろうトンボの孵化用に丸太を打ち立てたりと雑用で一日が終わった。こういう「無計画の極み」「行き当たりバッタリ」の段取りばかりということは取り越し苦労の多い貧乏性なのだろう。金蔵を建てれなかった訳だ。

 明日からは植樹で、また土掘り三昧の日々になる。


寒は思い出

2010-03-14 | 感じるままの回り道

 『寒の入り思いあらたに霜の道』

 『氷点下それも良きなり寒は明く』

 『立春や霜の谷間に陽は届き』

 『氷結の沢に陽は射る寒は明け』

 『立ち枯れの幹背に温し寒の昼』


これくらい!

2010-03-13 | 水辺環境の保全

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 水のたまり始めた遊水池にケラが泳ぎだしたのを捕まえた。盛んに前足を広げて逃れようとする。前にも記載したが「あんさのチョンチョはこれくらい!」をどうしても思い出してしまう。

 ビオトープもどきがようやく完成に近づいた。あとは満水になったら遊水池からの排水パイプの埋設と浅水域を1㎡ほど掘り足すだけだ。やれやれである。ここはケラに訊ねるほども無く「これくらい!」の小さくささやかなビオトープだ。

 それでも以前と比較すればゼロと1との違いがある。水生生物にはミニ宇宙に違いない。足腰痛いけれど自己満足感は格別なのだ。

 当初、止水域は絞り水だけで満水にする予定だったが漏水がありそうなので、上部の堰すれすれの水位から水を導入した。雨などで出水したら溢れたのが入り込んで田んぼ跡を浸す構造にしたのだ。

 普段は堰の水位から僅かにさげた調整堰から下る水で水を補給する。流路の水量が減れば止水域への水の供給はとまるが、そこは天におまかせだ。流路の川床には泥が沈殿しているが、雨が何回か降って川床を洗えばカワニナの姿が見られるかもしれない。

 生物の好みや生態も「流れを好む」「止水を好む」「砂州を好む」「小砂利床を好む」など多様だし、その全てに配慮した構造には程遠いが、カワニナ、トンボ類の一部くらいには喜んでもらえるだろう。


冬も色あり

2010-03-13 | 小父のお隣さん

『実万両椿五尺に負けぬなり』Photo

『枯れウコン浅黄色にて縮む朝』

『水仙の色香かんばし寒の花』

『カナムグラ哀しき冬の網タイツ』

『ヤブニッケイ香り凍らず届く袖』


利意堕阿たち

2010-03-12 | 性向有毒の翁なれば

Photo_2『草履草履温めた草履俺雑吏』

『蔵裏蔵裏密かに蔵裏おれ天秤』

『総理総理手を挙げ総理万歳総理』

『雑煮雑煮喰いたし雑煮おれ無宿』

『ソーリィソーリィ哀編むソーリィ俺総理』


春は急ぎ足

2010-03-12 | 小父のお隣さん

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 菜種梅雨とは言うけれど、裏山を白くさせた冷たい雨の日も終わって快晴の一日になった。予定だと「習い事」の日なのだが「やってられない!」天気だ。

 と、合理化が出来たので嬉々としてフイールドへ出発する。今日も土堀りの一日だったが気持よく帰宅できた。とは言っても節々はボロボロ、息は絶え絶えなんだが…。

 止水域を広くするために土を掘り上げていたら「けら」が飛び出てきた。少年時代には指で摘まんで「けら、けら、あんさのチョンチョはどれくらいー?」なんて声掛けし、けらが両腕を広げると「これくらい、これくらい」なんてはやして喜んだものだ。

 近くに来た散策者が「土筆が出ていましたよ」と声を掛けてくれたので終了間際に見に行ったら結構でていた。小さいながらもスイバも花穂をあげていた。

 寒い雨続きだったが、何日ぶりかでフイールドに入ると「春になった」を実感する。今日の鶯もさえずりがおぼつかない。一生懸命さより遠慮がちに聞こえ「恥ずかしながら練習しております」と小野田一等兵を連想してしまった。見るもの聞くものが「春は名のみ」ではなくなった事を教えてくれる。


啓蟄も過ぎて

2010-03-11 | 小父のお隣さん

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 ショウジョウバカマの開花を確認に行く途中、おそらく「ヒミズ」であろう死体に出くわした。鳥に悪戯されたわけでもないようで目立った外傷は無く、道路の上に転がっていたのだ。同じ状況で二回目の出会いである。どうしたんだと思っても理由は判らない。

 沢蟹も姿を見せて来た。今回の蟹は片方の鋏が特に大きい。沢蟹なのか別の種類なのか不明だが、鋏の大きい淡水性の沢蟹は知らない。

 沢奥の水溜りからはカエルの鳴き声が聞こえてきた。これも初鳴きとして聴くものだが種類は判らなかった。思い立って陽だまりの水面まで立ち寄ったがガマガエルの卵塊はまだ無かった。二週間ほど早いと言えば早いが、今年は何日だろうか。他愛も無いが楽しみの一つだ。

 子ども時代は雪解けの田んぼの水面を見つけてはカエルの卵塊を探したものだ。ネコヤナギの銀色の芽出しも心躍る春の風物であった。その名残が今も残っている。

 三月ともなると雪も硬くしまって、夜間の放射冷却で更に硬く凍ってくれる。こんな頃は昼ぐらいまで田んぼや畑の雪原を思うままに歩けたのだ。ネコヤナギを探し熟し柿は鳥たちの食べ残しをすすり、思えば遊びはこんなものだった。


寒の林内作業

2010-03-11 | 今日は真面目に

 『ヒサカキを伐れば寒の陽眩し射る』

 『裸木も山肌染める頃となり』

 『一木を倒せば一条春日かな』

 『倒れるに負けじと寒蔓絡ませる』

 『裸木は春日を受けて横たえり』


キクラゲ~だ!

2010-03-10 | 何よりの楽しみ

 椎茸のホダ木に椎茸でなくキクラゲが発生してきた。今日は大き目のものだけ何枚か採集したが、まだ雨続きの時期で乾燥もせず成長が期待できるので、もう二回くらいは賞味できるというものだ。ウシシである。

 今回も塩コショウで調理しようかと思ったが、あまりにも単純脳に思えて、ハムと萌え始めたばかりの庭の三つ葉を混ぜ込んで炒めた。

 香り付けに醤油をたらしたのが新機軸だ。炒める途中はいつものことだが、「パン、パン」とキクラゲが破裂して飛び散ってくる。生のキクラゲはこれがあるからビクビクしての調理だ。

 でも、そのおかげで何時に無く豪華に仕上がった。夕食の一品の積りが三時のお茶の友で消えてしまったのが残念だ。炊き立てのコシヒカリで食べたかったが・・・。

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寒を思えば

2010-03-10 | 小父のお隣さん

Photo_2『冬枯れに淡き色添え花八手』

『山茶花に倒れし竹は花を撒く』

『山茶花か椿か惑う遠き色』

『シジュウガラさえずり鳴けば木霊来ゆ』

『伐竹に潜り笹鳴く寒の入り』