トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

雨水の恵み

2011-02-21 | 感じるままの回り道

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 丁度よく暦の「雨水」を目前にしてたっぷりと降雨量が有った。お陰で底が見えていた溜池1,2,3も満水位である。どれも流入する水源を持たない「雨水」頼みの溜池であるから天候次第で水位は大変動する。

 この時期に満水位でなくてもかまわないのだが、3月中ごろにはヒキガエルの産卵が始まる。今の所、三つの溜池で産卵を見たことはないのだが「産卵するだろうか?」のはかない希望は毎春あるのだ。一方で「ヒキガエルは生まれた場所で産卵する」というらしいから、そうだとすると希望はない。

 ただ、トンボ池には流入水があるから、そちらに産卵が無ければ、そこは100m上手の沼から移植して故郷創生する算段をしている。まあ、ヒキガエルの産卵は無くてもモリアオガエル、トンボ類は当たり前の様に産卵してくれるので欲張りたくはないが、カエルの卵塊は懐かしい春の記憶でもあるから憧れがある。

           溜池に雨水溢れる春の雨 


護岸

2011-02-21 | 水辺環境の保全

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 水際の護岸作業をする。池の落葉やヘドロを取りたいのだが、岸辺に引き上げても結局は崩れて池に戻ってしまうし、周囲が湿地状態で歩くのも難儀でもあり、どうしてもしっかりとした護岸をする必要があった。

 資材は周囲の樹木で調達するのだが、とりあえずは池を日陰にしていたアラカシの株立ちを伐採して土留めに使う。杭は細い部分でまかなったが、池の全周を土留めするには不足で、杉の小径木を間伐して再利用だ。

 今日はようやく三分の一ほど土留めを施せたが、地面が粘板岩状で杭が入りにくい。掛け矢で打つのも結構大変な作業であった。


蝿が手を擦る足を擦る

2011-02-20 | 小父のお隣さん

Photo  雨水を前にして、ようやく十分な降雨になった。お陰で山の溜池も満水位になったが、思わぬ温かさで迷惑な昆虫の出現である。

 まだ啓蟄には半月はあるのに蝿のお出ましだ。家の中で越冬していたのだろう、カーテンに止まってせわしなく歩いては手を擦る、足を擦る。

 フイールドでは、蚋はとうに出現していて、顔の周りで煩わしいことこの上もないのだが、藪蚊には効き目が感じられない「携帯蚊取り」が効果があるようで、ONにすると煩わしさから解放される。

 初見の蝿はスリムで盛期のようなプックリと丸まった体型ではない。空腹だろうにと思うのだが、動きはきびきびとめまぐるしかった。撮影するのに一苦労だった。


大人だって遊びたい

2011-02-20 | 感じるままの回り道

Photo_5  整備した台地に、今日は成人の一行がやってきた。ミーテングらしき事をしながら盛んに拍手を繰り返している。このように自己紹介だか発表だか音声は届かないけれど、小生には苦手な場面のようだ。

 作業しながらの印象だが、子どもたちの方が活気に溢れている。成人の場合はプログラムや目的が明確にある分だけ、ありきたりでそっけない印象だ。

 目印の支柱を添えた実生の幼樹を眺めて拍手したりもしていたから、おっつけ樹名でも言ったのだろうと推測したが、当たったにせよ「拍手するほどのことか?」と少々底意地の悪い小生であった。

 一方、葉も落ちて裸の幼樹の樹名を言い当てたとすると「只者ではない」が、遊びと言うより研修の一団だろうけど、昼間で円陣の隊形が多かったのを垣間見ていると、フイールドなんだから「座学でなく実学」と声掛けしたくなる。やっぱり底意地悪いか・・・。


*寒さ完満

2011-02-19 | 感じるままの回り道

 大寒の月は欠けても凍てし日はますます満ちる春は遠かり

 我が部屋は森の温度と同じなり座してるゆえの冷たさを知る

 冬枯れの街の歩道の石の上落ちたる我の影と道行き

 切り口に溜まりし樹液夏ならば竹の生酒今は冷や水


飛翔1号

2011-02-19 | 小父のお隣さん

Photo_4  作業中、視野の中に移動する物体があった。着地点を探したら、それはガであった。今春の飛翔第1号である。期待していたのはヒョウモンチョウだったのだけれど…。

 背中に毛皮を背負っているといえるような、特徴ある姿だったし、羽には黒紋があって、その特徴的な姿から鑑別は直ぐにつくと思ったのが大間違い。手元の図鑑では見出せなかった。

 ちなみに、その図鑑は1977年初版の子供向けの携帯版だ。もうボロボロだけど掲載数が多いので重宝している。でも色彩は劣化して、トンボ類は同じ色に見える代物なのだ。書店に行っては探すけれど、コンパクトで掲載数の多いのは見つけることが出来ないから、いまだに使用している。

 ネットの図鑑では探せるのだろうが「蛾」では食指が動かない。「差別するな!」といわれそうだけれど…。で、入浴後、検索してみた。「キリガ」の一種まではたどり着いたが同定はお手上げ。マニアが結構居るタイプなそうな!。自分なりに「ヨモギキリガ」で決着。だからどうって事もないか!?。早春1号だったというだけだけれど、越冬した姿は哀れでもある。


春子ちゃん、ようこそ!

2011-02-18 | 小父のお隣さん

Photo  雪も降ったけど、降雨量もしっかりあったからホダ場を覗いてみた。「ジャジャジャーン!」である。

 春子ちゃんが顔を出していたのだ。予想していたとは言え、これは嬉しい。週末の定例会に新子で春子ちゃんを鍋に入れられる。

 樹皮を破ったばかりの春子ちゃんは直径5mm程度だ。この段階の姿を確認できるのは拠点にあるといっても稀なのである。ただ、この降雨直後に猪の荒らした地面が近くに出来ていたから、もしかすると猪様に御献上となってしまう可能性もある。

 それはともかく、新しい生命の活動を直視できることは、たとえ食用に栽培しているキノコでも嬉しいことなのだ。名誉のためにお断りすると「食いしん坊としての嬉しさ」ではないのだ。


*小事は題字

2011-02-18 | 合混で闘作すれば

 海老は赤なり 目玉もはじも

  赤いはずだよ 兎年 ハア コリャコリャ     睨見

 小沢の水も 途切れて凍る

  凍れば滑る 落葉かな ハア コリャコリャ    落陽

 チョンチョンチョンと 主旨挿げ替えて

  民は首吊る 縄もない ハア コリャコリャ    宝便    

 日の本良い国 一度はおいで

  火の本溢れる 苛残酷 ハア コリャコリャ    魔熊


*奇仰家

2011-02-17 | 性向有毒の翁なれば

 苦忍益々ギョギョーと言わず何と言う        ギョギョー家     さかな君

 凶の春ほっとけ叫と声宝               キョギョー家      まつりびと

 噛まぬギアギア鳴りいのちギャーギャーと    ギャーギャー渦  悶巣多屁有連徒

 我が世をばリフォームかけて嬉々逢い哀     キャーキャー嫁   寒流


兆し

2011-02-17 | 小父のお隣さん

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 二日前には確認できなかった通り道に「春の花」だ。三日前は雪模様で氷点下であったにもかかわらず、いくつかの生き物は春を知らしてくれている。

 同じ場所で「前を向いて後を向いて」なんてやって目に入る季節にようやくなってきた実感がある。オオイヌノフグリもタンポポも、小生には春の象徴の野草であるし「お気に入り」の野草でもあるのだ。

 ただ、池の改修の初っ端に、深みにはまって両膝下から長靴の中まで泥水でグチャグチャなのが口惜しい。なんたって「気持ちが悪い」のだ。結局そのまま作業はしたのだけれど「良いことも悪しきことも」の春の一日となった。

 ところで、「春になったから花を咲かすのか、花が咲くから春になったのか」こんな一文が記憶の底から浮かんできた。「春だからか?、想ったからか?」。小生はどうでもいいことで立ち止まる。


三寒四温の間

2011-02-16 | 遊び子は

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 溜池の改修を行っていたら、隣の台地に子どもたちがやってきた。年少さんのグループらしい。いつもどおり「朝の会」をやってから真竹林内に入り込んで遊び始めた。更に元気の良い参加児は一段高い高みによじ登っている。

 そこはまだ地表が未整理状態だから、親が付いているものの様子を確認に行ったら大丈夫そうだった。登り口は切り立っていて、足場を鍬で削っただけの状態だが子どもは元気だ。手掛かりや体勢を教えてやったら登りきってしまった。ママ達の方がたよりない。

 降りてきたところを待ち構え、スコップにアカハライモリを二匹のせて観察させた。「皮膚に毒がある」と注意をしたので恐れをなしたのか、素手で触ろうとした児は皆無。

 イモリは池の深みに土塊を入れ安全な深さに調整している段階で、泥の中から出てきたのだが、それより「いない」と思っていたヤゴが結構生息していたのにはびっくりだ。すべてイモリの餌になっているのだと思っていたから…。ちょっとばかり嬉しい三寒四温の愛だ。

      

  


春は名のみの泥の冷たさ!

2011-02-16 | 水辺環境の保全

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 もう!あーあ、である。池の中に蛸壺のような深みがあるのは承知していて、それを安全な深さまで底上げしようと、竹竿で位置確認をしようとした途端だった。思っていたより落ち込みは広がっていて、竿で確認する前に両足ともズブン!とやってしまった。

 長靴の中まで泥水が満杯、ズボンも膝から下はグチャグチャ。靴下は絞ったけれどズボンは絞りきれず、結局グチャグチャ感はそのままで作業となった。「汚い」という意識はないけれど不快な感じは意識すると「あーあ」と言いたくなるほどだった。

 それでも浅瀬の部分を掘り取り深みに投げ入れて、なんとか満足できる水準までにはなった。この溜池はアカハライモリの巣窟みたいな場所で落葉の分解も悪く、ガスが発生するような池であるけれど、拡幅で日射と貯水量を増やすことにより環境改善を達成するのが目標の作業だ。

 深い部分は泥で埋もれているが、大人の太腿あたりまで沈む。それも池の中央部でなく、通路脇であるから幼児には大変危険だ。頭部から落ちたら全身泥の中である。こんな危険を解消し、池の周囲を歩けるよう護岸もして、イモリやオタマジャクシなどと遊んでもらえればとのもくろみだ。溜池は幾つか点在させたが、各々その周囲の環境条件が異なる様に設えてあるから、遊びながら環境条件の違いによる生物層の違いに気がついてもらえれば万歳である。

 「環境教育」なんて分野が大流行の昨今で、教育・指導、イベントを行う側には事欠かないけれど、フイールド(教材)を整備するなんて姿勢は聞こえて来ず、これは蟻の役割なんだろうなあ。たまたま頂いた著書にあった「神よ、試みに遭わせないでください」。これに近いか…。


切り返し

2011-02-15 | 今日は真面目に

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 雨の降りだす前にと、竹の古い集積場所を切り返しに行った。先日、植樹をした時に腐食が進んでいないのを危惧しての事である。一方ではセッセ、セッセと集積し、他方で切り崩し切り返す、全く阿呆の所業だと思いつつ…。

 どういう訳か埋もれてしまった竹は変色しているものの、まだ竹の姿そのままで、靴で踏みつけても潰れない強度を保ったままである。思うに酸素不足と見当をつけて、堆肥を作る時の様に「切り返し」を行えばOKとふんだのだ。

 鍬で掘り起こすのが楽なのだが、柄が短いから引き広げるのに不便で、柄の長い造林大鎌を持ち出して広げた。言わば鳶口代わりである。広げて判ったことは「生物がいない!」。皆無だった訳では無く、カブトムシの幼虫が数匹転がり出たが、それだけだ。他の腐食質を好む生物や越冬中の生物も見られない貧弱さだ。

 普通、落葉や木質部が分解していくと、少なからず腐葉土となり、その下の表土とも親和して一体となるのだが、竹の腐食では、そうはなっていなかった。全く一線を引いて下の土の表面に馴染んでもいなかったのである。竹の中に生物を忌避させる成分があるのかどうか知らないけれど「竹の独占欲・排他性」みたいなものを垣間見た感じであった。

 さあ、この作業の結果、夏草が生い茂ってくると散乱した竹が刈り払い機での作業の邪魔になるのに、ひとつ事を起こせば、その結果に手を取られることになる際限も無い連鎖をスタートさせてしまった。諸事万事、網の目のように繋がっているのがフイールドでの活動だ。

 


*寒の入り

2011-02-15 | 感じるままの回り道

         原ゆけば葉も無きイバラ裾を引く

         風花は裸木に舞い添い落ちぬ

         深山木の冬芽小さき寒の入り

         深山木は風花の奥墨に染む


*四方噴塵

2011-02-14 | 勢子、雨毒に侵されて呻く

Photo_3日向も悲向となりぬ果てしなく石灰を撒きさらに灰降る

地に埋めし数百万の牛や鶏悲憤に想う火を噴く神座

芯燃えて高天原を広げつつ国産みのごと熱き地放つ

牛鶏の病を埋めて行く末を清浄となせ山神の灰