クラシック音楽の危機が叫ばれて久しい。
あと30年くらいで、クラシック音楽を聴く人などいなくなるという極論さえある。だが、これは案外本当かも知れないと思っている。先日、音楽大学の卒業式に行ったが、男子学生は2割くらいしかいなかった。これからの子育ては、子供にピアノを習わせるよりも、スポーツ・クラブに通わせる親の方が主流だそうだ。
クラシック音楽の衰退は「教養主義」の崩壊ということか。日本の近代は、西洋の文物をいち早く取り入れることで、「流派」を形成してきた。クラシック音楽はその典型的なもので、「本家」(ドイツやフランス・イタリア)に学んだ「専門家」(大学の先生)が学生である弟子に「流儀」を伝授することで成り立っている。こんな旧態依然とした世界は、他には見られないのではないかと思う。
クラシック音楽ファンと自称する人たちも、奇妙なタイプがある。「名盤」「定盤」論議や、「指揮者論」にうつつをぬかす人たちだ。ナマで演奏を聴く機会が少ない彼らは、オーディオという仮想世界の中で「空論」を述べているだけなのだ。
今年はカラヤン生誕100年ということで、レコード各社はCD集やDVD集のリリースに力を入れている。だが、あんな気持ちの悪い演奏を今さら見たいという人は、それほど多くないはずだ。カラヤンの映像には「自己顕示」と「自己陶酔」しか写っていないのだから。
あと30年くらいで、クラシック音楽を聴く人などいなくなるという極論さえある。だが、これは案外本当かも知れないと思っている。先日、音楽大学の卒業式に行ったが、男子学生は2割くらいしかいなかった。これからの子育ては、子供にピアノを習わせるよりも、スポーツ・クラブに通わせる親の方が主流だそうだ。
クラシック音楽の衰退は「教養主義」の崩壊ということか。日本の近代は、西洋の文物をいち早く取り入れることで、「流派」を形成してきた。クラシック音楽はその典型的なもので、「本家」(ドイツやフランス・イタリア)に学んだ「専門家」(大学の先生)が学生である弟子に「流儀」を伝授することで成り立っている。こんな旧態依然とした世界は、他には見られないのではないかと思う。
クラシック音楽ファンと自称する人たちも、奇妙なタイプがある。「名盤」「定盤」論議や、「指揮者論」にうつつをぬかす人たちだ。ナマで演奏を聴く機会が少ない彼らは、オーディオという仮想世界の中で「空論」を述べているだけなのだ。
今年はカラヤン生誕100年ということで、レコード各社はCD集やDVD集のリリースに力を入れている。だが、あんな気持ちの悪い演奏を今さら見たいという人は、それほど多くないはずだ。カラヤンの映像には「自己顕示」と「自己陶酔」しか写っていないのだから。