澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

北投温泉「温泉博物館」の歴史展示

2009年08月22日 12時04分10秒 | 台湾
北投温泉にある「温泉博物館」に行く。
北投温泉は2度目だったが、同行者は初めて。私も「温泉博物館」は初めてだった。
この建物は、台湾総督府を設計した森山松之助によるもの。森山はこのほか、台北州、台中州、台南州などの官庁建築、専売局などを手がけた。
台南州の庁舎は、現在、国立文学館として使用されている。私が見た中では、専売局の建物が最も優美で気に入った。

   (専売局庁舎)

日本統治時代、公衆浴場として使われた「温泉博物館」は、畳敷きの宴会場、大正ロマン風のサロンなどがあり、訪れる日本人には安らぎの空間となっている。



その入り口には、ビデオがあって、「台北1937年」という映像が流されていた。これは、日本のニュース映画社によって撮影されたもので、当時の街並み、人々の生活などが分かる貴重な資料だ。


帰宅してYouTubeを見たら、すでにこの映像はUPされていたが、私が撮った映像の方が時間が長いようなので、あえてUPした。



台北1937年~北投温泉「温泉博物館」の歴史展示より



第二の「英国国歌」を流す民主党はどこの国の政党か?

2009年08月22日 03時40分57秒 | 政治
民主党が選挙用に制作したビデオを見たとたん、絶句した。冒頭に流れる音楽が「威風堂々第1番」だったから…。

周知のとおり、エルガーによって作曲されたこの「威風堂々」は、第二のイギリス国家と言われるほどの曲だ。それを承知しながら、公職選挙法に基づく公式ビデオに使ったのなら、ぜひ理由を訊きたいものだ。知らなかったというのならば、その歴史感覚の無さを恥じ入るべきだろう。

私自身、ある学校の卒業式で、教師と一部の生徒が「君が代」斉唱に反対しながら、退場行進にこの「威風堂々」を流したのを見て愕然とした記憶がある。民主党のビデオは、その再現だったのだ。

「威風堂々」をよく聴くがよい。ユニオンジャックが世界中にひらめいた、大英帝国全盛の時代と英国王室を賛美する内容なのだ。「君が代」や「皇室」は嫌いでも、英国ならOKというわけか…?

こんな政党に「アジア重視」の「友愛外交」などやられては、アッという間に日本は衰退していく。そういう確信をますます深めた。



威風堂々第1番(プロムス2008)



台湾映画のDVDを探す

2009年08月22日 03時09分50秒 | Weblog
台湾映画DVDの購入も、旅行の目的のひとつ。知人に頼まれた分も含めて、かなりの枚数を購入した。

 (蔡明亮 精選作品集)(台湾人生)

まず、探したのは「愛情万歳」という映画。「蔡明亮 精選作品集」(三枚組)に収められている。何故、この映画かというと、今話題のドキュメンタリー映画「台湾人生」の監督である酒井充子さんが、ある「インタビューで「”愛情万歳”を見て、台湾に興味を持った」と応えているから…。
早速、私も見てみたが、タイトルから予想していた内容とは全く異なっていた。ひとりの女と二人の男の愛を描く映画だが、私にはとても暗く重い内容だった。この映画に共感できるほど、私はもう若くないのかもしれない。こういう映画を挙げながら、あの「台湾人生」を作った酒井充子という人にますます興味が湧いてきた。

  (「一八九五」と「心動」)

「一八九五」と「心動」は、メル友である台湾人の方から教えてもらった映画。まだ見ていないのだが、楽しみだ。

 (「男孩子」)

それと、店の人が薦めてくれた「男孩子」。中国語を聴き取る勉強には、役立つかも知れない。
このほかにも、「覇王別姫」(これは台湾映画ではないが)、「悲情城市」などの定番も安かったので購入した。いずれも重みのある内容なので、今の私はパスしたい映画だ。心身の老朽化に伴い、深く重いモノは、受けつけない体になったようだ…。


「蟹おこわ」「石班魚」を満喫~Holidays in 台北

2009年08月22日 00時21分43秒 | 台湾
旅行者が少なくなったお盆明けに台北に行く。およそ2ヶ月半ぶりだが、今回は配偶者同伴なので、堅苦しい訪問先は避けて、おいしいものを食べ歩こうという旅行だ。

旅行会社の手違いでキャセイのチケットが入手できず、中華航空のビジネスクラスに変更になった。ゴージャスでくつろいだ気分。一度味わうと、もうエコノミーには戻れないかも…。


(「阿美飯店」で食べた”蟹おこわ”)

最初の夕飯は、台南名物の蟹おこわ。本当は、新幹線に乗って台南に行き、「阿霞飯店」で食べたかったのだが、台風被害が伝えられるなか、台南行きを断念。台北の阿美飯店で食べることにした。台湾通の方から聞いた店だけあって、どの料理も美味。配偶者も大いに満足したようだった。

 (烏来の滝と野鳥の焼き鳥)
(タイヤル族の女性と……?)

翌日は、烏来(ウーライ)へ。日本統治時代に作られたトロッコ鉄道とロープウェイで山の中腹へ。周囲は観光施設が整備されていて、外国人観光客が充分楽しめるようになっている。ディズニーランドの「魅惑のチキ・ルーム」に似た「原住民ビア・レストラン」で昼食。「野鳥料理」「豚肉の焼き肉」などを食べる。生のニンニクを添えて食べる野鳥(多分、雉の一種か)のワイルドな味を楽しんだ。タイヤル族の土産物店では、「…奥さんは、原住民とそっくりね!」と言われた。(上掲写真)
夜は、「鼎泰豊」の小籠包を食べに出かける。

次の日、特に予定は組んでいなかったのだが、配偶者が太平洋側の街「宜蘭」に行きたいというので、台北駅へ。しかし、さすがに旅行シーズンなのだろうか、花蓮行きの自強号は満席。そこで、出発間近の彰化行列車に乗る。各駅停車なので、高校生のおしゃべり、おにぎりを食べるOL、子連れのお母さんといった乗客の姿を楽しみながら、新竹へ。

(日本時代に建てられた新竹駅と駅前プロムナードの流水)

新竹の街を見ると、日本時代の都市計画がよく分かる。上野駅のような駅舎、駅前の広場、広場から放射状に広がる幹線道路、遊歩道(プロムナード)と疎水、城門を囲むロータリーなど、緻密に設計された街づくりに改めて感心する。台南でもそうだったが、日本時代の建造物や組織は、きちんと継承されているように思われる。博物館などの説明でも、日本統治時代を一方的に非難するような記述は一切見られない。ここが中国大陸とは全く異なる点だ。

(新竹名物の「貢丸(肉団子)とビーフン」 新寮漁港)

新竹駅からタクシーで新寮漁港へ。ガイドブックに「港の近くには新鮮な海の幸が並ぶ海産物屋や食堂もある」と書かれていたからだ。
市場の一階は新鮮な魚介類の数々。特にピチピチと跳ね上がるエビに、食指が動いた。二階は食堂街。元気なおばちゃんの店で、茹でた蟹とエビを注文。でも、おばちゃんは、水槽の魚を指さして「これを食べた方がいい」と主張。結局、その魚と、見知らぬ野菜炒めも注文。豪華なおやつ(午後三時だったので)になってしまった。やっぱりおばちゃんの言ったとおり、その魚(焼き魚として出された)料理が最も美味しかった。魚の名前は「石班魚」。カサゴの一種だろうか。


(南寮漁港・食堂のおばちゃんと。  「石班魚」は左奥の一品)

あとで知ったのだが、この南寮漁港の近くには飛行場があり、第二次世界大戦末期、特攻隊が飛び立ったところだという。言うまでもなく、当時、台湾は日本の一部であり、日本の特攻隊は沖縄に向かって飛び立ったに違いない。

南寮漁港から見える台湾海峡は、波も穏やかで平和そうだった。澎湖島・馬公でも感じたことだが、現地を訪れて初めて見えてくる”圧倒的な日本”の姿。
その解釈は各自に委ねられているが、NHK番組が描く”恥ずべき歴史”でないことだけは確かだ。