TVのワイドショーなどでは、貴乃花が立候補した相撲協会理事選挙や朝青龍問題について、面白おかしく色々な意見が飛び交っている。
それらの意見に共通するのは、角界は遅れた社会で改革が必要で、一般社会の常識を導入すべきだということだ。
理事選挙については、公正な選挙、自由な個人の意見が反映される選挙というお題目で、無記名で○を記入する方式が採用された。だが、選挙後、一門の中で”犯人探し”が行われたとして、マスメディアはそれみたことかという調子で相撲協会の”後進性”を叩いている。
しかし、マスメディアが貴乃花を角界の救世主のように持ち上げ、相撲協会を”前近代”的な悪の巣窟のように叩くのは本当にまともなことなのだろうか?
角界の各部屋のあり方、親方と力士の師弟関係、たにまちと力士の関係等々を見ると、これは今や消えつつある、日本社会の”原風景”だと言えなくもない。
私が子供の頃、田舎ではまだまだ伝統社会の因習、人間関係が色濃く残されていた。一見、遅れていて、封建的だと言われたような社会関係が、近隣や親族関係、地域社会中の人間関係においても活きていたので、これを息苦しく思う若者は、都会へと旅だった。
だが、今から振り返れば、伝統社会の人間関係にはそれなりのよさもあったはずだ。少なくとも、派遣切りや孤独死などとは無縁の社会であったことは間違いない。
”和を持って貴しとなす””長いものには巻かれろ”などの格言にはそれなりの合理性があったのだ。
やや皮肉めいて聞こえるが、日本相撲協会は、浅薄なマスメディアの批評など気にせず、信じるところに従って、自らの伝統を守ってほしいものだ。一門の結束は大事であり、和を乱す自由選挙などは伝統になじまないとはっきり言えばいいのだ。
すべてが社会の”進歩”に合わせて”改革”しなければならないなどというのは、単なる幻想に過ぎない。この20年間、政治的、経済的にも日本は”進歩”したのだろうか?