澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

DVD「台湾人生」(酒井充子監督)を見る

2010年02月27日 09時58分14秒 | 台湾
昨日、映画「台湾人生」のDVDが届いた。全国の主要都市で行われた劇場公開が終了したため、ようやく待望のDVD化が実現したのだ。

(映画「台湾人生」のチラシ)

このドキュメンタリー映画は、台湾の日本語世代の老人5人へのインタビューによって構成されている。彼らは、もう80歳代半ばになる。

かつて日本の一部であった台湾は、戦後、大陸から敗走してきた中国国民党軍に占拠される。彼らを同胞として迎え入れた台湾人の期待は、「二二八事件」(1947年)によって完全に裏切られる。この事件で、中国国民党軍は、二万八千人もの台湾知識人・指導層を虐殺し、その後三八年間、戒厳令で台湾人の言論を封殺した。

台湾の日本語世代がようやく自由に本心を話せるようになったのは、たかただ20年前からだ。それまでは、公の場で日本語を喋ったり、学校の同窓会を開くことさえ禁止されていた。このようなドキュメンタリー映画の制作が可能になったのは、ごく最近になってからだ。

ようやく本心を語れるようになった台湾の日本語世代に対して、最近、対極をなす二つのアプローチでドキュメンタリー作品が作られた。ひとつは、NHK・濱崎憲一ディレクターが制作した「アジアの”一等国”」(2009年4月5日放送)、もうひとつはこの「台湾人生」だ。
濱崎憲一の「作品」は、台湾の日本語世代を取材しつつも、NHKの「媚中」方針に従ってインタビューや史実を改ざんした、悪質な捏造品であった。もっと言えば、日台の”絆”を引き裂く目的で作られた番組であった。一方、酒井充子監督のこの作品は、歴史証言集として手許に保存しておきたい珠玉の作品となった。

2009年5月、私は台北の「二二八紀念館」でこの映画に出演している蕭錦文(しょう・きんぶん)氏に会った。ボランティア解説員をしている蕭さんは、私に戦中から戦後の「二二八事件」に至るまでの歴史を一時間半にもわたって説明してくださった。その思いは、この映画の中でも存分に語られている。だが、蕭さんはこの映画に出演していることについては全く話されなかった。

2009年7月4日、この映画の上映を記念して酒井充子監督と蕭錦文氏の対談が行われた。そのとき、私は蕭さんと再会し、酒井充子監督にもお目にかかることができた。


(2009年7月4日、映画上映後の酒井充子監督と蕭錦文氏 東京にて)

全く知らなかった歴史に触れるという体験は、まさに「目から鱗…」だ。中共(=中国共産党)と国民党が争った「ひとつの中国」という政治闘争は、いま中共による台湾併呑という方向で決着しつつある。「新中国」「文化大革命」を熱烈支持した進歩的知識人も「反共」の立場で「中華民国」を応援した保守側の日本人も、「ひとつの中国」という虚構に呪縛されている点では全く同じだった。日本人として育った台湾の日本語世代を顧みないという点でも「同じ穴のムジナ」だったのだ。
40年もの歳月が、台湾人の心情を知ることなしに流れ去ってしまった…。台湾の日本語世代は、あと10年もすればほぼ”消滅”してしまう。そう考えると、この映画は、かれらの遺言集とも思えてくる。

彼らが伝えたかったことは何か。それはこの映画の中で十分に語られている。彼らの心情を画面に引き出した酒井充子監督には、心から感謝し敬意を表したいと思う。
酒井監督は、4月初旬にこの映画に盛り込まれなかったエピソードを含めて書籍版「台湾人生」(文芸春秋社)を発表するという。この本も心待ちにしたい。

(書籍版「台湾人生」 文藝春秋社)

酒井充子監督、蕭錦文氏とのトーク~映画「台湾人生」上映後 2009.7.4